はじめに少々。
昨今のネットでは日本文化紹介番組に関して、
「自慢をするな(ホルホルするな)!」という怒鳴り声が鳴り響いているが、
勝者や強者には、それに「見合った振る舞い」というものが要求されるのが現実だ。
たとえば、あなたがオリンピックで金メダルを獲得したとして、インタビューを受ける。
そのインタビューで「自分なんかが金メダルをとってごめんなさい、もっと優れた人は大勢いるのに」だなんて、
そんな謙虚(ではなく卑屈)なコメントを喋ろうものなら、誰がそのコメントを賞賛するだろうか?
全力で競って勝利した人が、負けた人に向かって、あなたたちのほうが優れている、だなんて。
優れているならなぜ負けた、とさらなる非難や追及の的にされる口実を自ら生み出すばかりか、
自分の勝利と名誉を矮小化することで、敗者の名誉をこそ傷つけてしまっている。
侮辱や挑発にしか見えないし、聞こえないし、その場で刺し殺されても文句は言えない。
「ライバル」のことを「好敵手」と書くのは日本だけだし、
そもそも本来は「敵手」とだけ書いていたのだしな。
勝った人が堂々と勝利を誇ることで、負けた人が浮かばれる。その偉大なる名誉のために戦ったのだ、と。
勝った人が負けた人の実力を賞賛することで、負けた人が浮かばれる。
しかし勝った人が自分を貶めるようなことを言えば、負けた人は浮かばれない。
「勝った奴の謙遜」とは、
「絶対にやってはいけないこと」だ。
俺は私はこんな奴に負けたのかと、
全ての人を、全ての敗北者を、
公然と侮辱する行為に他ならないからだ。
そんな当たり前なこと、
「勝負に携わる人間」の
素直な気持ちもわからないのは、
万事において一度も勝ったことのない、
生粋の敗北者であり、弱者だけだ。
そもそも謙虚と卑屈の区別がついていないアホが多すぎる。
史上初の永世七冠を達成した羽生が、自己評価としてまだ先を目指すと言い張るのはいい。
ただの自己評価なのだからな。それは謙虚さであると認識される。
しかし、誰よりも先に実現させた先駆者にして英傑たる自分の、実力が足りないと言い張るのはよくない。
そんな自分にすら満たない奴らは、ザコである自分に満たないクズだと言っているようなものだから。
それに挑んで敗れてきた全ての先人を、それに挑み続けている全ての仲間を、同時に否定し侮辱することになるから。
それは卑屈さであり、自分に満たない存在の全てを侮辱する悪意に他ならない。
謙虚になれという口実で、卑屈さを押し付けて、自分のほうが相手を従わせた強者なのだと思い込みたいだけ。
何をやっても勝てない生粋の弱者であり人間の屑であるほど、
実力ではなく人格の問題にこじつけたがり、
ありもしない人格的な欠点を見出してでも、その存在そのものを貶めようとする。
議論に敗れた愚者が、相手の人格を揶揄することで、発言内容ごと正当性を貶めようとするのと同じことだ。
女に対する「批判」を女「叩き」と言い換えることで、被害者気取りをして、
言論・議論ではなく感情的な問題を提起したうえで、
対等な相手への批判を一方的な暴力だと決め付けて、同情を煽り、正しさ以外の理由で相手を貶めるかのように。
実際に100mを9秒台で走れる人が、9秒台で走れますと宣言して、その何が傲慢だというのか。
できることをできると言って、その何が悪いのか。
勝者が覇を競う場所とは、愚者や弱者を基準にする場ではないのだ。
愚劣にして脆弱な汚物たる貴様の乾涸びた名誉を守るために、勝者の栄光を汚そうとするな。
一度も勝てたことがない弱者は、強くなろうとすればいいだけであって、
誰であろうと、強者の名誉を汚す権利などない。
あるいは貴様が勝利した暁には、同じように、勝利した貴様の名誉が汚されるだけだ。
まあ、いったいどんな奴らが「自慢するな!」「ホルホルするな!」と発狂してるのかはわかりそうなもんだよね・・・
運動でも、勉強でも、特技でも、恋愛でも、仕事でも、何をやっても負けっぱなしの人生。
自分には誇れるものがなく、自分が住む国に誇れるものもなく。
歴史も、文化も、伝統も、名誉も、治安も、安全も、娯楽も、栄光も、自由も、平等も、希望も、何一つありはしない。
そんな国と、そこの民が、そんなことを叫んでいるのだろうね。
誰からも褒めてもらえず、自画自賛したところで拭えない劣等感に苛まれ続けている、
哀れで、弱く、そして愚かで、惨めで、攻撃的で、嫉妬深く、身を立てるという発想すら持たない輩。
いるよね、すぐ近くに。西早稲田とか新大久保とか大阪とか神戸とかにもいるけど。
・・・・とまあ、軽く前置きをしたうえで本題に入ろうか。
勝ったことのない奴の卑屈さって、常軌を逸しているからね。
もし自分が勝者だったらどう感じるのか、だなんて絶対に考えない。
そんな嫉妬まみれな根性してるから、勝つための実力ではなく、邪魔をするための悪意だけを磨き続けるんだ。
日本という国が高く評価される要因のうち、最も大きなものは・・・
感覚的には納得がいかないだろうけど、
現実的な、世界標準でいう「パワー」バランスの話でいうなら、
有色人種として、最初に白人に勝利し、科学文明の歴史と常識を塗り替えた、という点だろうか。
日本は戦前どころか江戸時代の頃からずっと「先進国」であり、国際連盟時代は常任理事国もやっていたほどだ。
今でもG7として、有色人種唯一の先進国として名を馳せているように、
日本が強い国であることは、昨日今日の話ではないし、戦後だけの話でもない。
そもそもルネサンス自体がアジア・イスラム圏のおかげなのだから、
白人とて、自力だけで今の栄華を獲得したわけではない。
持ちつ持たれつが常識である以上、「他国のおかげ」だなんてことは、誰もがいちいち喋ったりはしない。
そしてなぜ欧米が日本の存在を無視できなくなったのかには、明確な理由がある。
ただの敗戦国に目を向ける理由もなければ、
敗戦国は弱く無価値だというなら、日本はG7として認められはすまい。
日本がG7に参列していられる最も明確な理由が、そこにある。
人類史において初めて、航空機で、航行中の戦艦を撃沈したのが、日本だからだ。
これにより、「空の覇者こそが勝利する」という常識が、人類史に刻まれることになった。
そして同時に、白人国家の威信を賭けた兵器を、有色人種が初めて破壊し、勝利した瞬間でもあった。
具体的にはマレー沖海戦にて、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスを撃沈した。
特に「prince of wales」は読んで字のごとしの意味であり、
現在では「王位継承者」の別名ともなっているほどには、由緒正しい肩書きであるわけで。
かつて世界の覇者となったイギリスの、国の威信を賭けた名を冠する最新鋭兵器を、有色人種が撃破したのだ。
白人にとっては屈辱以上の驚愕があったことだろう。
それ以上に、欧米列強に侵略され植民地化されていたアジア諸国には希望の光となったことだろう。
実際に、当時はイギリスの植民地だったインドの、第二代大統領ラグ・クリシュナンは、
昭和44年の日経新聞でこう述べている。
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは想像もできなかった。
それを我々と同じ東洋人である日本が見事に撃沈もした。
驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。
パイロットの壹岐春記さんの証言も残されているので、興味があれば調べてみるといいかもしれない。
彼が沈没したPoWとレパルスのために花束を投下し敬意を示したエピソードは一時期教科書にも載っていたが、
彼は「褒めてもらおうと思ってやったことではない」とだけ語っている。
それこそが正しい「謙虚さ」であり「美徳」なのであって、
日本兵の頭蓋骨を使って灰皿を作ってはニタニタ笑っていたアメリカ人たちには、
一生かかっても理解のできない発想だろうさ。
「戦争は二度とやっちゃいけない。戦争の悲劇を身をもって体験した世代として、若い皆さんに言っておきたいのは、いまのような平和な世の中を保っていくためにはどうすればいいのかという問題を研究して、戦争を起こさないための方策なり、技術を考えていただきたいということです。私は戦争をしませんよ、と言って、どこからも仕掛けられなければそれに越したことはありませんが、もしやられたらどうするか、どんな形で守れるか。平和憲法はすばらしいが、本当にそれだけで済むのか。それを研究して、現実に即して戦争を避ける努力をしてほしいと思います」
これ↑が戦争当事者のありがたいお言葉だ、知性の足りない反戦論者諸君はよく読んでおきたまえ。
日本が評価される最大の要因たる「戦争の常識を塗り替えた」「有色人種が白人に勝利した」という事実は、
「歴史的に見れば日本の影響力は少ない」「日本は戦争でひどいことをした」「日本は弱いから負けた」とされている、
各種大嘘を信じ込んでいると、絶対に見えてこない。
たとえ日本が敗戦国であったとしても、日本の名誉を貶める行為は、
そんな日本にやられたものの全ての名誉を貶める行為にしかならない。
白人たちも、そこにようやく気が付きつつある。軍人たちにとっては常識にも満たない発想なのだがね。
ちなみにイギリス側、当時のチャーチル首相はこう述べている。
私が書類箱を開けていると、寝台の電話が鳴った。軍令部長からだ。変な声だった。
咳をしているようでもあり、こみ上げてくるものを堪えているようでもあり、初めはよく聞き取れなかった。
「首相。プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが、どちらも日本軍の飛行機に沈められましたことを
報告しなければなりません。トム・フィリップス(英東洋艦隊司令長官)は戦死しました」
「間違いないか」「疑う余地はありません」
私は受話器をおいた。私は一人であったことを感謝している。
戦争で、私はこれ以上のショックを受けたことはなかった。
むろん、僕を含めて誰一人として、
戦争が正しいとか、戦争すべきだとは一言も言ってない。
誰だって戦争なんかやりたくはない。
だが戦わなければ何も守れない。ただそれだけのこと。
今でも「経済大国」には、軍事力の弱い国なんかひとつもない。
ローマも、モンゴルも、大英帝国も、スペインも、フランスも、オスマントルコも、大日本帝国も、アメリカ合衆国も、
人類史に残る強国・大国・先進国は例外なく、軍事的勝利によって、周辺諸国からの侵略を守っていたのだから。
安全だからこそ、仕事や研究に集中できる。
かつて徳川幕府、江戸の太平の世が訪れたことによって、日本の農業が劇的に進歩したように。
庶民にとってはいつ襲われるのかがわからない状況で、農作物や農耕技術の研究なんかやってられないからな。
大事なことだから、何度でも繰り返すぞ?
日本が高く評価されている要因のうち、最も無視できないものは、戦争の常識を塗り替えたこと。
有色人種として白人に勝利したこと。
「有色人種で敗戦国なのにG7」という、少し考えればおかしな話が平然とまかり通っていること。
なあ、自称戦勝国の諸君。きみらは戦勝国だと言い張っているのに、なぜG7に入れないんだい?
先の戦争における勝敗は、それ自体には大きな意味などありはしない。
その戦争がもたらしたものが何だったのかに、大きな意味がある。
少なくともアメリカは、少なくとも白人たちは、二度と日本を無視することはできない。
アジア・アフリカの植民地諸国が開放されるに至った原因を作ったのは、まぎれもなく日本なのだから。
現在の世界地図を作ったのは、日本だ。
戦中、日本のほかにアジアでは唯一独立を守っていた(とは名ばかりではあるが)タイ王国の、
ククリット・プラーモート第十八代首相は、12月8日の現地紙でこう述べている。
日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。
※12月8日=真珠湾攻撃の日。もちろんこれも、アメリカが被害者気取りをするために仕組んだことが判明している。
GHQ総司令ことダグラス・マッカーサーは51年の米上院でこう証言している。
日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれまで知っている中の最も立派なものの一つである。
しかし、彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。
日本には蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。
日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)
一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。
それ故に、日本が第二次世界大戦に赴いた目的は、そのほとんどが、安全保障のためであった。
ドイツをいじめすぎてヒトラーが生まれ、
日本をいじめすぎて太平洋戦争(大東亜戦争)が起こり。
白人諸君がどれだけアホなのかは、結果が出揃った今だからこそ、よくわかる。
日本という国を過小評価しすぎているのは、本当に日本人かどうかも怪しい連中だけである。
マトモなオツムを持っているのなら、
立場の違いに関係なしに、彼らが守ろうとしてくれた日本の名誉を、
誰よりも守らなくてはならないのは、日本人であるはずだ。
そんな日本人と戦って敗れた敵兵たちの名誉のために、
日本を守るために戦って死んだ英霊たちの名誉のために。
産業革命以後、科学力こそが国の趨勢を決することは明らかとなった。
そして大艦巨砲主義という白人と欧米の常識を覆したのが、日本人とアジアの国だった。
いいかげん令和の時代なんだから、それくらい覚えておきたいもんだよな、と。
日本を過小評価することは、日本と戦って犠牲になった皆さんにこそ失礼なんだぞ、と。
日本の美点を卑屈になって否定することは、そんな日本にすら及ばない全ての国に対して失礼なんだぞ、と。