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再掲、”1058、「どうやったら頭よくなれますか?」という質問に関して”

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頭がよくなっても苦痛しか増えないから、

嫉妬や劣等感に由来する「高望み」のために賢くなりたいならやめておけと、僕は必ず一度は警告をする。

 

生まれつき頭がいい側の人種だったから誰が相手でも堂々と断言できるだけで、

自分の学識が十分に足りていると思ってるからではないのだが。

 

 

 

そもそも僕が自分のことをこの世で最低最悪のクズでありバカだと定義している限り、

僕に満たないものは全て最低最悪未満の何かになってしまい、論理として破綻する。

 

仮にも一度は学力で日本の頂点に立ったことのある僕が、自分自身を愚劣な存在だと仮定するべき道理はない。

道理がないだけで、僕は自分が賢いと思ったことはないのだがな。

 

・・・何を言ってるかわからない? 僕と同じくらいモノ知ってりゃ意味がわかると思うけど。

 

 

 

 

 

 

この世の「教育」ないし「学習」の99.9999999%は、

人類史に変革を齎す天才や英傑を育成するためにあるものではなく、

利用価値のない汚物を、リサイクル可能なゴミ程度まで処理するためのものだ。

 

勘違いしてる人が大勢いるが、ごまかしても幸せにはならないから堂々と言い切るけど。

 

 

 

 

人類に変革をもたらす有益きわまる研究開発のために必要なものは、天才個人が作成したものじゃない。

 

彼ら彼女らが通勤通学で使う道路を整備するのも、

彼ら彼女らが日々食うメシや食材を用意するのも、天才個人で全てを供給した結果ではない。

彼ら彼女らが幼少期に拉致・殺傷されない平和を守るのも、彼ら彼女ら個人で実現できるものではない。

 

確かに「この世を動かす」のは一握りの天才だが、

一握りの天才がこの世を動かすために必要なものは、

数多の凡人と愚民でしかありえない。

 

 

 

 

それでも天才になりたい? 少なくとも賢くはなりたい? まあそう思ってる時点で無理だ、諦めろ。

 

天才や英傑になれるような奴なら、教えを請うことはない。

 

天才としては凡庸な僕でさえ、そういう人生だったからな。

 

 

 

 

自分が知らないことが、

どれくらい知らない状態にあるのか(転んだ膝なのか、刺された心臓なのか)を自覚できる奴だけが、

知って学んで成長するための最短ルートを最速で駆け抜けていける。

 

そんな「化け物」同士が集まったのが、野球でいうなら甲子園、受験でいうなら早慶。

 

そんな化け物からさらなる上澄みを集めたのが、東大、医学部、その類。

 

そんな化け物の上澄みの中で辛うじて成果が出せるのは、

期待されていた有名人ではなく、偶然成功しただけの凡人であったりすることが多い。

 

「化け物」の「上澄み」を集めた中で、「凡人」が成果を出す。

 

 

 

 

わかるかなあ?

 

悩んで迷ってる時点で、

あなたの持って生まれた才能は非効率的なんだから、

そんな自分を信じていたらバカにしかなれない。

 

100点を取れない自分」を信じた結果、

100点が取れないんだよ?

 

100点を取れない自分」よりも、

100点が取れるお手本様」を信じたほうがいいよね。

 

 

 

 

たったそれだけのこと、

「『自分』よりも確かに信じられるもの」があるのだと理解できない人には、

何を言っても無駄なんだ。

 

自分がそうなりたい、自分がそうしたい、自分が、自分が、自分が!

 

「正しいもの」を選ぶのが、賢い人間に強いられる責務だぞ?

 

「お前という自分」が選んだかどうかはどうでもいい。

 

選んだものが正しいかどうかが全てだ。

 

「女だからバカにされている」んじゃなくて、

「お前という個人が愚劣だから批判されている」のと同じこと。

 

 

 

 

お前が誰であるかはどうでもいいんだよ。

 

誰かが正しさに到達しさえすれば、それが人類に変革を齎す。

 

誰が到達するかじゃない。いかにして到達するかだ。

 

 

 

 

出発点が自分の感情だから、賢くなれない。

 

賢さが欲しいなら、出発点は正しさだけだ。

 

間違えたという事実は、失敗という観点からすれば正しい。

正解したという事実は、成功したという観点からすれば正しい。

 

正しくないものを信じているから教育が必要なんだ。

 

もちろん、正しさにも種類はあるぞ?

小さな不正は見逃すべきだし、巨悪の前で怯えて逃げること自体も正しい。

だが不可避だ、必然だというだけで、許容されただけのことを正しいと言い張る「べきではない」。

 

 

 

 

・・・・・・・・何を言っても無駄だろうし、

「最適な一言」ってのは、たぶん死ぬまでわからない。

 

でも、大事なことは、それを僕が言ったかどうかじゃない。

 

僕が言ったこと自体が、間違えているか、正しいかだ。

 

僕が発言する必要はないし、その正しさが僕を救う必要もないし、

正しさが示された結果、僕が幸せになるべき道理すらない。

 

 

 

 

まあね、それでも、出発点が感情や我欲であっていいし、そうでなければ困る。

 

だが自分の感情が求めさえすれば、氷が熱くなるわけじゃないし、炎が冷たくなるわけでもない。

 

熱い氷を作りたいなら、熱い氷を作れるだけの正しさがなければならない。

冷たい炎を作りたいなら、冷たい炎を作れるだけの正しさがなければならない。

 

感情から出発したっていい。

だが感情だけで届くものばかりではないと諦めなければならない。

 

 

 

 

・・・・・・・大人に言ってもわかんねえことを、言われなくてもわかってた子供が、僕だ。

 

今の僕より10歳の頃の僕のほうが賢いからな。

 

それでも、賢さ、頭のよさ、正しさとは何かを証明する本質的な言葉は、未だに知らない。

 

 

 

 

お前のそのやり方じゃ、お前が望むものには届かない。

言葉を飾ってもお前は賢くならない。

 

簡潔に言えというなら、

賢くないとわかってるお前自身の生き方や直感を信じてどうするんだよと。

 

お前の直感や願望の打率が5割より低いなら、そんなものを信じるなよ。

 

お手本様、マニュアル様、敷かれたレール様、何でもいいから自分より頼れるものを信じろよ。

 

 

 

 

気持ちだけで賢くなれるなら、親も教育者も鬱になったり自殺したりはしねェんですよ。

 

僕は子供には甘いが、大人になりたいとほざいた瞬間、現実を容赦なく叩きつけるタイプだ。

知るのが遅れるほど後悔できる範囲が広がるだけだからな。


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