僕の中では子供の頃に結論が出ている話題だし、
白々しい表題をつける必要もない程度の、
常識未満の何かだとは思っているのだがね?
まあ、綺麗事から喋ろうか。
ヒキコモリを治すのに必要なものは、
まっとうな仕事、まっとうな同僚、まっとうな収入を同時に与え、
過干渉をせず、しかしある程度は甘やかしてやるという、「誰もやりたがらない当たり前なこと」なんだよね。
というより言い方を変えると、
まっとうな仕事、まっとうな同僚、まっとうな収入を与えられつつ、
過干渉をされずある程度甘やかしてもらうことって、「誰にとっても必要であるはずのこと」なんだよね。
昔っから「仕事が続く条件」は3つあるとされてきた。
収入、やりがい、職場環境。
そのうち2つ以上が満たされている限り仕事には耐えられる、と。
確かに、収入が低くてもやりがいがあって、同僚と仲がいいなら、職場に行くことは苦痛ではあるまいさ。
同僚と疎遠でも、自分の中でやりがいがあって収入が高いなら、それはそれでやる気は出せるさ。
やりがいのない地味で辛い仕事でも、同僚が温かくて収入も安定しているなら、それもまあ我慢はできようものだ。
もちろん、3つ全てが揃っているのが最も望ましいわけで、
上記で挙げた要素って、つまりはそういうことなんだよね。
そもそも、どうしてヒキコモリが生じるのかって考えると、
理由はあまりにも多種多様すぎてどうにも言い切れないんだよね。
親や子との死別で絶望した人もいれば、
事故や怪我、病気をしてから運動が億劫になったせいでズルズルと、という人もいる。
失恋というにはひどすぎる、事故物件のような輩のせいで人生が狂ってしまい、という人もいる。
もちろん失職して実家に戻っても世界的に不況で再就職がうまくいかず、というケースもあるし、
受験で失敗して自信を失って大学も中退して、というケースもあるし、
周囲からの期待に応えられなかった自分を好きになれず、というケースもある。
どれも僕が実際に、かつ複数ないし多数見てきたケースであって、実在は疑いようもない。
ようは、自業自得だと断言できないケースがあまりにも多すぎるんだよな。
同じ状況に追い込まれたら、自分でも「耐え」られなかっただろうと思えてしまうほどには。
つまり、ヒキコモリは治すべきものじゃない。
津波に飲み込まれて人が死ぬとか、台風のせいで建物が壊れるとか、
そういった「自然現象」の亜種に近いものだといえる。
しかもヒキコモリが増えているとするデータだけはきっちり出てくるわけだが、
そもそもヒキコモリが何人いるって、どうやって調べたんだ?
しかも増加しているってことまでは言及されるのに、
なぜ増加しているのかってことまでは誰も調べないし、
切実な理由を突き詰めていくと、視聴者やスポンサーにおける最大多数層の責任問題になっちまうからな。
なぜなら、無能経営による失敗のツケを、経営陣の刷新ではなく、平社員のリストラで埋め合わせてきたから。
責任世代と呼ぶべき、現在の50~80歳の世代が、
守るべき未来を食いつぶすことで、
自分たちの昇給・賞与・退職金・年金を守ることだけを考え続けてきたから。
だって、まともな仕事と収入があれば、誰もヒキコモリなんかならないだろ?
ちゃんとメシが食えるだけの収入があれば、自分は働いてるんだというプライドを保てれば、
多少辛くても仕事にすがりつくはずだろ?
でも、ヒキコモリやニートに吐きかけられる言葉はいつも同じだ。
「甘えるな」
「選ばなければ仕事はある」
「お前みたいな奴に救いがあるわけがない」
・・・まあ、自分がそれを言われて嬉しいか? っていう発想が完全に欠落してるよね。
自分が困ってないから他人はどうでもいいって考えてる、
薄情というより、廻り巡って自分や子孫が困るだけっていう昭和の根性論・精神論を、延々と踏襲してるだけ。
「情けは人のためならず」という言葉を知らないのだろうね。
そうやってバブル崩壊以後、
就職氷河期世代を冷遇し、ゆとり世代叩きを繰り返し、
未来を担うべき存在を軽視・侮辱・排除し続け、困ったら下っ端から切り無能な首脳陣を生かし続けた結果、どうなった?
ヒキコモリやニートが増える原因は明確なんだよ。
失職する、社会のレールから外れる、というストレスや恐怖や不安を知らない奴が、
どのツラを下げて解説して識者ヅラをしているのかは知らないが、
そんな扱いを受けてやる気が出る人間なんかいない。
奴隷制度があった時代の統治システムでさえ、そんな扱いはしない。
奴隷にだってモチベーションは必要なんだから。
メシは与える、衣食住は与える、少なくとも仕事に対して報酬は与える。
だが今の時代は、仕事をしても報酬は変わらない。
努力をしても収入は上がらない。
結果を出しても報酬が増えない。
じゃあ自分で起業すればいいと、脊髄反射で問題から逃げるバカがいるんだよな。
自分が起業したわけでもないのに、
あるいは自分が経営している会社が順当に回っているわけでもないのに。
その理屈でいくと、人間の数だけ会社があるような世界になるのが正解だってことか?
それとも労働者がおらず経営者だけがいる会社が最も模範的であるってことか?
たとえ社会に復帰したとしても奴隷未満の扱いをして、
いつまでたっても腫れ物や汚物扱いをするから、
ヒキコモリやニートは治らない。
自分がそんな扱いをされたら嫌だと思うようなことを、
平然と押し付けているから、彼らは救われないし、
一度転んだら二度と元には戻れなくなる。
諸悪の根源は、「今の金持ち」が有利で「今の貧乏人」に不利なデフレであって、
その根底にあるものは、中高年が多すぎて、かつ自己批判精神を持たないから、
何でも若者や平社員のせいにして、無能だと罵るくせに即戦力を要求し期待と責任だけ押し付けようとすることだ。
そんなことは誰だってされたくないし、
自信の軸や土台になる仕事や収入を失っている人間であれば、
常識に考えて耐えられるはずがないような「冷遇」でしかない。
・・・・・・・・・・というのは綺麗事だ。
そのとおりに社会が回るはずがない。
ではなぜそのとおりに社会が回らないのか?
「社会」問題っていうけど、その社会を回しているのは人間なわけだろ?
そもそも社会と呼ばれるものは総称であって、それそのものは存在しないし目にも見えない。
なのになぜか、社会という得体の知れないもののせいだってことにされて、
それを構成し運営する人間のせいにはならない。
「社会から弾き出された連中が悪い」という側面は、自業自得である場合にのみ正当化される。
無能経営のツケを平社員のリストラで埋め合わせるような行為は、
果たして自業自得なのだろうかね?
その失職は社会の問題なのだろうかね?
それとも知性や良識に劣る経営判断と、無責任な経営者の問題なのだろうかね?
クビにされるほうが悪い?
有能ならクビにならない?
あるいはそれが事実であるなら、誰もヒキコモリやニートを「社会」問題として扱いはすまいよ?
だってそいつが無能だからクビになって、そいつが弱いからヒキコモリやニートになるわけだろ?
つまり社会は悪くないはずなんだ、そいつが弱くて無能なだけだから。
なのに彼らの存在が「個人」の問題ではなく「社会」問題になる。
それとも社会問題「になる」のか、社会問題「にする」のか・・・
ヒキコモリになる奴、そいつ個人が悪いというなら、社会の問題ではなく個人の問題であるはずだろ?
でもヒキコモリは社会問題だ。
ヒキコモリを生み出すような構造を作り出している連中の責任は問われず、
自分だってヒキコモリになりたくて仕方ない、ギリギリのところで戦っている人たちにまで、
一律に責任を押し付けるために、個人問題ではなく社会問題になる。
・・・んまあ、社会問題では、ないよな。
ヒトという種族が理性を完全に磨ききれていないから生じる問題であり、
ヒキコモリやニートという個人ではなく、
それらを生み出す構造を放置し続けている個々人の問題だわさ。
それに、親に甘やかされすぎて社会の厳しさに耐えられない弱さがヒキコモリの原因だというなら、
甘やかした親にも責任はあるはずだし、そもそもなぜ社会は厳しいものでなければならないんだ?
致命的でない失敗に対してはもっと寛容であってもいいはずなのに。
致命的でない失敗をグチグチネチネチチクチク指摘することでしか、
自分の有能さをアピールできないから、
「失敗に対して不寛容であるほうが優秀であると思い込めてしまう」のではなかろうかね?
お前は自力で今の地位を手に入れたと思っているのかもしれないが、
ヒキコモリやニートになりたくてなる人はいない。
つまり、仮にお前が自力でそうなったとしても、
彼らは自力でああなったわけじゃない。
ゆえにお前の価値観では、彼らを測ることはできない。
以上の内容を一行でいうなら、
社会問題だと言い張るくせに自己責任論で追い詰める矛盾がある限り、社会問題ではありえないよねっていう。