まあ至極簡単だわな。
日本にはファンタジー時代のものがワンサカ現存しているけど、
欧米には殆ど残っていないからな。
あちらには建造物だの美術品だのは残っていても、
その当時から変わらず受け継がれ続けていて、
今でも原型を留めていて、かつ一般庶民が担い手として息づいているものなんか殆どない。
現在の「いわゆる欧米文化」の大半は貴族たちが道楽として継承してきただけだから、
各地によってバラバラになったものを近年になって再構成・統一しただけってものがあまりにも多すぎる。
だから伝統文化特有の「古臭さ」や「非効率性」が残っておらず、カタログスペックほどの重みを感じられない。
無論、庶民から殿様まで同じもの食ってた和食と、宮廷料理丸出しのフレンチが、同じ基準で評価できるわけもない。
まあ、欧米はお互いに何度も侵略戦争を繰り返して、血も混ざったし国も言葉も変わったしで、
そりゃ残ってるほうがおかしいってなモンではあるけどね。
んで「一般庶民が担い手であること」ってのがまた大きなポイントで、
和風ファンタジーは「作ろうと思えば誰もが作れてしまう」ほど浸透しきっているうえに、
80年代90年代のゲーセン・ファミコン・スーファミ時代で散々量産されまくったからね。
ようは、新鮮味がないのよ。
ちょっと出かければ築100年だの創業200年だのがザラにある日本において、
日本人にとっての「昔」ってのは「生活の一部」でしかないから、あえてファンタジーにする意味がない。
だって「創業50年」って聞いても、あんまたいしたことがないように思えちゃうでしょ?
和菓子で有名な「とらや」だって400年以上歴史があるわけだし。
いっぽうで有名ブランドのルイ・ヴィトンだけど、創業は1854年だからね。200年に満たない。
ちなみに、世界に存在する創業200年以上の企業の半分以上が日本にある。
ルイ・ヴィトンの時代ですらファンタジーの残り香がワンサカあったと考えれば、
日本にはファンタジーが今も息づいている、ということになる。
生活の一部分をファンタジーにするってなると、
トイレや風呂や炊飯器や冷蔵庫でファンタジーを作れってのとほぼ同義なんだが・・・
それこそ自宅に神棚や仏壇や和室・床の間があるって人も大勢いるわけで、
日本人にとっては神(や仏や悪魔や妖怪)ですら身近なものであり生活の一部だから、
わざわざ教会や礼拝堂まで出かけるからこそ非日常性を残せている欧米とは、意識から違ってくるのは当然だ。
神様には会いにいくものだって感覚「しかない」んだよ、欧米人には。
でも日本人には、神様は自宅に「も」いるって感覚になる。
どちらのほうが異物感やレアモノ感が強くなるのか? 考えるまでもねぇな。
日本じゃ子供でも忍者と侍は知ってるわけだしポケモンにもいるしで、
歴史が長すぎて文化が多すぎて、
どれが歴史的要素・文化的原点なのかなんて誰も意識できない量になっちゃってるのよ。
これはよく言うことなんだけど、「根性」って言葉は仏教由来だからね。
誰も宗教用語だと認識してないかもしれないけど。
日本人にとって、神や仏やファンタジー、歴史や過去は日常でしかない。
だから和風ファンタジーってのはただの日常にしかなれない。
かくいう僕は特に、武道や武術、手芸や料理などの心得があるからね。
「伝統的な技法」に関することはウンザリするほど叩き込まれたし、
合理と非合理の差もしっかり教わった。
だからこそ思うのよ。どうして外国人から見た「折り紙」が、そんなに珍しいことなのか、ってさ。
日本以外の国じゃ、庶民や子供が紙を遊びに使えるほど満足に量産され始めたのは、ごく最近のことだからね。
日本人にとって折り紙ってのは特筆すべきことじゃなくても、欧米人にとってはそうじゃない。
そういうことなんだよね、つまりは。
海外に憧れているのではなく、
国内だけでは限度があるから。
自国こそが世界一だと信じ込んでいる傲慢で偏狭な欧米人も、
それはそれで嫌いじゃないけどね。
自分たちだけが全てだと思ってしまったらオシマイだと、大半の日本人なら思うだろう?
それは島国根性のいい部分でもあると思わんかね。
ファンタジーが今も生きている国。