そもそもIQってのは100を基準にして、知能がどれだけマトモなのかという指標でしかない。
もちろんIQ100が一番多いし、100から遠ざかるほど少なくなる。
つまり「IQ」とは「高いからよい」のではなく、
「100から離れているほど異常だ」と判定される。
ここを間違ってる人が非常に多いからね、定義として覚えておこう。
IQは高けりゃいいってわけじゃない。
高かろうが低かろうが普通の人であるとはいいがたい、というだけだ。
んまあ、かくいう僕はIQの高さだけでいうと統計学上誤差とかエラーとかバグの範疇にいるから、
僕、ないし僕の感覚を基準にしてはいけないが。
んで、その定義さえ知っていれば、「IQが20違う」の意味くらいわかるわけよ。
そもそも「IQ70からIQ130まで」の間に
95%以上の人類が収まるのに、
人類の50%以上が含まれる範囲の下限と上限である
「IQ90の人とIQ110の人」で会話が成立しないってことは、
まあ、およそありえないよな。
半分以上の人と会話ができないってことは、さすがにない。
・・・といえば終わりそうな話題だが、大事なのはここから先だ。
ではIQ100とIQ120ではどうなるか?
IQ100は平均的な日本人、IQ120は東大生の平均と言われている。
まあ確かに、IQうんぬんよりも知識量やアタマの回転速度が違いすぎて、
会話が成立しなさそうだ、という印象はあるかもしれない。
ではIQ120とIQ140ではどうなるか?
IQ140は東大生の中でも最上位に位置する、
東大生からみてもバケモノクラスの頭脳の持ち主だとされている。
同じ東大生でも寄り付きたくないと感じる、圧倒的な「格の違い」があるそうだ(東大卒の元教え子に曰く)。
ここで違和感に気づける人は、賢い人だ。
常人と東大生の差が大きいことに異論はなかろうが、
その東大生から見てさらにバケモノじみているということは、
同じIQ20の違いでも、知力差はより大きくなっているのではないだろうか?
そもそもIQの定義からいって、IQ140以上という人は全体の1%も存在していない。
1学年に1人もいないようなレアモノなのだから、
IQ120程度の、40人の1クラスに対して5人はいる程度の人とは明らかに格が違うわけだ。
全校にせいぜい2人しかいないのがIQ140、クラスメイトに5人くらいいるのがIQ120。
それに対してクラスメイトの半分はIQ100で、5人がIQ120なのだから、
40人の1クラスに対して25人の間で会話が通じないということは、まあ、ないだろう。
いうまでもないが、
そもそも最初に「IQが20違うと会話が成立しない」と感じた人のIQが、
実は160くらいあったのかもしれない。
そうすれば、IQ140程度の天才であったとしても、
自分からみれば凡庸極まりない存在であったのだろう。
あるいはIQ140程度の天才からみれば、
IQ120程度の秀才とて、凡庸極まりない存在だったのかもしれない。
つまりこれは、凡人同士でピーピー騒ぐ問題ではなく、
天才と、さらにその上をゆくド天才との間でしか成立しない問題だといえる。
・・・あるいはその逆で、凡人とバカの間ではなく、
バカとガチバカの間でしか成立しない問題だったのかもしれない。
まあ、そこまでいくと正気の範疇ではなく、知能ないし精神に問題があると判断されかねないレベルだが。
かくして、基準をどこに設定するのかを間違えると意味が通じなくなる、
この「IQが20違う」という感覚だが・・・
僕と姉・妹のIQは少なくとも60、偏差値にして50離れていたわけだが、
じゃあIQも偏差値も50以上違うと、どういう感覚で相手を認識するのか?
僕がどうして、意味もなく病的な探究心を持っているのか。
それ以上のことは言わせてほしくないなあと、性善説に期待をしつつ。
これは何度も言ってることだけど、説明が要るって状況は、
相手をバカだと決め付ける必要がある状況でもあり、
相手が賢明であればそんな労力など必要ないはずの状況でもあるわけだし?