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1129、なぜ昔から「女は賢く生きろ」と言われるのか?

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そもそも、男や社会や世間や国は、何も悪くない。

 

たとえこの世に、あなたという女性様だけが存在していたとしても、

あなたが老いれば、あなたは閉経し、子供を産めなくなる。

少なくとも産むことに適さない存在になる。

 

 

 

 

野田聖子を見ろ、あれが「女の強欲」に対する神の啓示だ。

 

ババァになってから母親ヅラしたくなったところで、できあがったのは重度の障害児だ。

中国様に媚を売る政治家ゴッコをするために、障害児を育てる苦労は全て他人任せにしている、

母親失格にして生粋の屑、人間の屑だ。

 

しょせんカネと科学では、ヒトの摂理なぞ超えられはしない。

 

だから、男が、社会が、世間が、他人が、国が、政府が、

たとえ女には何ひとつ求めなかったとしても、女は老いれば、生殖能力を失う。

少なくとも子供に障害を残すリスクを激増させ、社会的負担を増やすきっかけを作り続けていくだけだ。

 

 

 

 

 

女の人生はそれゆえに、男と同じようには生きられない。

 

 

 

 

 

体力と気力と生理的安全さを考えれば、女は若いうちに産んで育てきるのが最も望ましい。

 

しかしながら現代社会は高度に進歩しすぎたせいで、

まっとうな人材の育成には、20年や30年という時間を要するようになりつつある。

医者なんて最短でも26歳までかかって、ようやくスタートラインに立てるのだからな。

 

つまり女は、男だったら何の問題も生じない「キャリア」の一番最初で、どうしても選択を迫られる。

 

産むなら今だ、諦めるなら今後50年の人生を考えてから選べ、と。

 

 

 

 

 

それは男が要求したことか? いいや違う。

 

この世にお前と、お前の理想とする男の2人だけが存在していたとしても、

お前は老いれば産めなくなる。

 

男は悪くない。社会は悪くない。周囲は悪くない。国も政府も悪くない。

 

決めない女が悪い。選ばない女が悪い。

 

そうなるとわかりきっているのに、将来のことを真剣に考えてこなかった、

そのせいで決められずに、挙句他人のせいにしている女こそが、悪い。

 

産むか産まないかを選べるのは女だけなのに、なぜ他人のせいにする?

自分の決断に対して責任を持ちたくないだけだろ?

 

誰もお前に強制なんかしていない。

だが産まずに生きて後悔した、嫉妬と怨嗟にまみれたクソババァどもを見て、

ああなりたいなら止めはしないぞと言っているだけだ。

 

 

 

 

 

必定、現代社会における女の人生は30歳までに決まる。

 

キャリアにしろ、子育てに耐えられるだけの体力が残っているかどうかにしろ。

 

できれば25で結婚して30までに産むのがいい。

これですら遅いのだがな。

 

そうなると、女は25歳までに「勝負」を決める必要がある。産むにせよ、産まないにせよ。

 

 

 

 

 

 

それでもなお、

親のエゴで女の子の人生から選択肢を奪うのは傲慢だと思うのなら、

「働いてもいい、産んでもいい女」を育てなければならない。

 

25歳までに母親としての器量の基礎、料理の技能や栄養・健康管理の知識を仕込みつつ、

社会人として活躍できるだけの知性を磨かなければならない。

 

老い衰えて出産適性を失うことで男たちが甘やかしてくれなくなる前に、

男たちから必要とされるだけの技能を身につけなければならない。

 

 

 

 

 

だから、「模範的な女」の人生は、最初が一番厳しくなるはずなのだ。

子供のうちにそういったライフステージの変化と男女差を教え、

両立の難しさを理解させ、男や社会のせいにしても解決しないのだと確信させなければならない。

 

その確信があればこそ、自分でどうにかするしかない、という真実に辿り着ける。

 

 

 

 

 

子供のうちから運動も勉強も教え、

男や社会のせいにせず、自力で工夫することを覚えさせなければならない。

 

それでも、いずれ育児を終えて社会復帰するときには、どうしても技能は衰えているだろう。

 

しかしながら幼少期に築き上げた基礎能力や意識、習慣や忍耐力が、

同僚たちから尊敬され必要とされるだけの水準に達していればいいのだ。

「学習し努力し成長する能力」を獲得できていれば、何をやっても対処ができるはずだ。

 

そして「それ」を、

女でなくとも、およそ18歳までに獲得できていなければ、

高度に発達し専門化・細分化された現代社会で生きていくためには「間に合わない」。

 

 

 

 

 

 

たとえるなら。

 

男であれば「18歳で東大に合格するまで」、

女であれば「平均29歳で結婚するまで」、

医者であれば「最短でも26歳になってから」。

 

「人材ないし人間としての"完成"を要求されるまでにかけられる時間」として考えたとき、

一番「楽」なのは、どれだろう?

 

 

 

 

 

女は賢く生きる必要がある、上記のような理由でだ。

 

だから男以上に、先手先手で将来に備えておかなければならない。

 

 

 

 

 

「上級国民」などと称される人層が輩出する女が、なぜ「お嬢様」として高級品扱いされているのかって?

 

そういうことを、わかりきっているからだ。

 

最低でも母になれるように、あわよくば人材としても活用できるように、

まず家事や育児に必要なものを叩き込み、それでも余裕があれば知性を磨く、という、

「女がやるべき優先順位」を、よくわかっているからだ。

 

 

 

 

 

なんでそう断言できるのかって?

 

男は逆に、まず人材として機能するだけのものを育成しないと、本当の役立たずになるからな。

「女がいつ産休や育休を取得してもいいように。」

 

つまりまず自分に必要な能力を磨かねばならず、それから親だの何だのを考える。

そして悲しいことに、「自分に必要な能力」が最優先になるのは、男も女も変わらない。

 

しかし僕は、まず「世の男たちが果たせていない父親としての機能・知識・技能」を要求された。

だから「世の男たちが果たしている恋人や彼氏としての機能・知識・技能」は後回しにされてしまった。

 

そのせいで僕は、

「女に好かれる要素」を持たず、

「女に嫌われる要素」だけを持つことと相成った。

 

僕がデートにもオシャレにも興味を示さないのは、そういう理由があるからだ。

僕に要求されているものは、それらではないからだ。

独身未婚の分際で、子育てに悩む親たちの相談役を務めている理由がそこにある。

 

僕は最初から、親や大人たちの、あるいは子育ての役に立つような存在になるべくして教育を受けた。

男として、個人として、楽しみながら、女と愛し合う存在になるべき教育は、ついぞ受けられずに育ってしまった。

 

 

 

 

 

僕は「教育を受ける順序」を間違えて育った。だからこそわかる。

 

女はまず母親になれるようになっておかないと、

いざ母親になりたいと思ったときに、必ず後悔をする。

 

そしてその後悔を認めたくないクソババァどもの嫉妬やイヤミを見て、

ああなりたいと思うなら、好きにしろ。

 

若さを失い、若さに嫉妬し狂う愚劣なクソババァどものようになりたくないなら、

料理や家事の基礎技術を親や周囲から教わっている余裕があるのは、

最長でも18歳までなのだということを理解しなければならない。

 

 

 

 

女の人生は、6334制度がある限り、

12までに料理を覚え、15までに社会を知り、18までに妊娠と就職に備えなければならない。

 

男?

 

12までに、女の18歳相当の教養と基礎体力を錬成し、

15までに、女の30歳相当の覚悟を決め、

18までに、女が60年かけても得られないだけの専門性と価値を獲得しなければならない。

 

それができない男は無能でありヒトの名にすら値しないと、

そう言われる世界で育った成れの果てが、僕だからな。

 

18歳までに18歳相当の技能しか獲得せずに生きても許されるのは、

いずれ「産みの責任」に向き合ってくれるはずだという前提で扱われる「女」だけだ。

 

男はどれだけ優秀であっても足りることはないが、

女は進化し続ける人類の日常を守れなければ何の価値もない。

 

無論、男のためじゃないし、社会のためでもないぞ?

 

その、進化し続ける人類の日常の中で生きていくであろう、未来と子供たちのために、だ。

 

 

 

 

赤ちゃんはママを望む。粉ミルクで足りるのは栄養だけであり、愛情ではない。

そして肌の接触でしか得られない生理的な愛情があることを、科学は証明した。

 

ヒトはどこまでいっても動物でしかない。

だから、動物としての摂理から逃れることはできない。

 

どれだけ社会や時代が変化しようと、ヒトはセックスをして、女が孕み、産む。

その構造が変わらない限り、子供に応えるべきは、「まず」母親なのだ。

 

たとえ父親が負担すべき役割が科学的に証明されつつある現在にあっても、

赤ちゃんが欲しがるのは、ママのおっぱいでしかありえない。

 

 

 

 

男が、ではなく。

社会が、ではなく。

 

お前の胎から出てきた子供が、だ。

 

 

 

 

男のせいにして、社会のせいにして、そんなにも「子供に応えてやるべき責任」から逃れたいのか?

 

妊娠もしたくない、家事もしたくない、子育てもしたくない、仕事もしたくない。

 

何もしたくないなら、人生そのものをやめてしまえばいいのではないか?

 

誰だって楽をしたいのに、

私に楽をさせないお前が悪いと怒鳴るクズに、

誰が救いの手を差し伸べると思っているんだ?

 

お前は自分のような奴を救いたいと思うか?

お前は自分のような奴を救えると思うか?

 

 

 

 

 

女が社会から、男から、責任から、未来から、現実から逃げ続けたとしても、

女はただ若さと可能性を失い、老いて醜くなり続けるだけだ。

 

若さに嫉妬し怒り狂うクソババァどもを見ろ。

男に媚を売るなんてありえない、女は優秀だ、男が悪い、女らしさを押し付けるなと言い張り続けてきた女が、アレだ。

お前はこうなりたいのか? それともお前はそうなりたいのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

考えろ。そして選べ。

 

「お前の自由」には常に、「お前の責任」が伴う。

 

 

 

 

 

 

 

メス同士で馴れ合い続け、チンケなプライドを守って後悔するか。

 

世界の半数を占めるオスたちのように、どれだけ真摯に現実と向き合うべきなのかを知り、恥じるか。


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