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1124、信念とは心の中に掲げるものであり、体の外に投げ捨てるものではない

たとえば。

 

まあ実際のところはさておき、あくまでも感覚的な納得を優先するために、

「綺麗事よりの酷く偏った事実のごく一部」の話をするわけだが・・・

 

女は弱い。男は強い。

 

異論はあるか? まあ、ないだろう。

 

ここで問題になるのが、

「強い女もいるし、弱い男もいる」ということだ。

 

が。

 

事故で歩けなくなった人に向かって、

足がついてるなら自力で立って走れ、とは言ってないわけです。

 

鍛えてすらいない、遺伝的にも貧弱なものしか受け継げなかった人に、

マッチョこそが正義だとは言ってないわけです。

 

 

 

 

そこで、考えてみるに。

 

「男は強くあるべきだ」という美徳や信念があったとして、

それは遺伝体質的に強くなれない男に向けて言うことでもなければ、

もちろん女に向かって言うべきことでもないわけだ。

 

あくまでも強くありたい自分に対して言うべきことだから、

それは心の中でだけ叫べばいいのであって、

口から出したり、他人にぶつけたりする必要は一切ないわけだ。

 

そこで表題に戻るのだが、

「信念とは心の中に掲げるものであり、体の外に投げ捨てるものではない」、となる。

 

 

 

 

 

しかしながら。

じゃあ、誰もが自分なりに好き勝手に生きてもいいのか? 否。

 

赤信号では止まれ。歩き煙草をするな。待ち合わせだろうが終業だろうが、定められた時間と刻限は守れ。

 

お前の考えを押し付けるなというなら、そう考えているお前の考えをこそ、僕に押し付けるんじゃあ、ねえよと。

 

 

 

 

 

それにさ?

 

「男らしさ」を押し付けるなと、僕も何度も思ったわけだが、

「男らしさ」を満たせるのは、その期待に応えられるのは、男だけだろ?

孕ませる能力は男にしかないし、強さでもって何かを成すのも男にしかできない。

 

「女らしさ」を押し付けるなと、女性は思うかもしれないが、

「女らしさ」を満たせるのは、その期待に応えられるのは、女だけだろ?

孕める能力は女にしかないし、男女双方の裸体や恥部を晒す行為に対処できるのは女の専権事項だ。

 

男じゃヤダという女がいるから、そこに女を宛がうのであってさ。

 

それゆえに、「男じゃなきゃダメ」ってことはないんだよ、理論上。

女にしかできないことはあるけど、男にしかできないことって、ないんだよ。

男は別に、男にボディチェックされても文句は言わないから。

 

重度の肉体労働だって、今は重機や物理学があるからな。

女でも10トンのものを動かすことはできるようになっているんだ。

 

それでも、女は「女じゃなきゃダメ」っていうんだよ、男に対しても、女に対しても。

だから女には、女からの要請に応じて、女らしさを果たしてもらわなきゃならなくなる。

 

そんなことも考えてみるぶんに、

「女らしさ」を押し付けるなという文句は女に言えって話でもあるし、

「男らしさ」を押し付けるなという文句は男に「も」言えって話でもある。

 

 

 

 

だとしても。

 

 

 

 

確かに美徳は心の中で掲げるものだ。他人に要求するもんじゃない。

 

だとしても、その態度が上辺だけのものとなり、中身を失った抜け殻だけが蔓延すると、どうなる?

 

 

 

 

平成の時代にはいくつもの自然災害があったわけだが、

そのたびに、誰もが思ったんじゃないか?

 

もし、そういった非常事態に巻き込まれたときに、

男らしさを押し付けられたくないからという理由で、

目の前で泣いてる女や子供を見殺しにしてもいいのだろうか?

 

確かに俺は男だ、重いものを持ち上げることもできる、恐らく俺なら助けられるだろう。

だが俺に対して男らしさを押し付けるなら、そんな奴を助けてやる義理はない。

 

・・・確かにそのとおりだ。

他人から期待を押し付けられ続けてきた「俺」こそ、心の中ではそう確信しているのだからな。

 

だが、それでも。

 

いかに自分が男らしさを押し付けられたくないと思っても、自分は男でしかありえない。

なら、「男である責任」から逃げ続けるくらいなら、

いっそ最初から、男にしかなれないような生き方をするほうが楽なのではないか?

 

 

 

 

確かに、ガレキを動かしたり運んだりする、

手作業でしかできない状況があったとしても、

男にばかり任せようとする女のために、どんな男が奮い立つというのか。

 

女であれば女の、男であれば男の責任を果たそうとする意識が、

双方に備わっていてこそ初めて、

「らしさ」を押し付けるな、という綺麗事を聞く余裕が生まれるのであってさ。

 

男ならどうにかしろと言うなら、女のくせに命令してんじゃねえ、というのも、

どちらも等しく正論だ。

苦労をして責任を負うのは男なのだから、その男を全力で補助するのが女の役目だろ?

 

それとも、男に文句があるなら、全部女がやるか?

 

 

 

 

そういうことなんだよね、つまりは。

 

美徳なり信念なりというものは、確かに、自分の心の中でだけ掲げればいいものでしかないし、

間違っても他人に押し付けてもいいものじゃない。

 

だが、その発想ですら持ち得ない人がいる。

 

異性には異性らしさを押し付けるくせに、

自分や同性には、同性らしさを押し付けるなと、

自分のもって生まれた「性の責任」から逃げ続ける奴がいる。

 

もちろん、それは性別に限ったことじゃない。

 

僕は強い。

だからといって、何の義理もないお前らのために奉仕したくて強く生まれてきたんじゃない。

 

僕は賢い。

だからといって、何の義理もないお前らのために奉仕したくて賢く生まれてきたんじゃない。

 

それでも僕は、

自分が、「自分の持つ責任」を果たすべき存在だと思っているから、

その理不尽にして傲慢な要求から逃げたいとは思わない。

 

別に、僕じゃなくてもやれるはずだ。

でも、僕でもやれるなら、僕でもいいはずだ。

それを誰もやりたいと思わないのなら。

 

誰もが僕に期待なんかしていなかろうとも、

誰もが僕に責任だけ押し付けようとしていても、

自分にやれるかもしれないことがあるなら、それをせずにいるべき理由がない。

 

 

 

 

 

 

最大限、自分がやるべきでない理由は考える。

 

極力自分は何もせずにいたいと願っているからだ。

 

自分のような「修羅場や緊急事態のためだけに技能を磨き続けてきた人種」が必要とされる状況は、

誰かが困っている状況であるということだから。

 

最大限、自分がせずに済む可能性を探す。

それでも誰かがやらなきゃいけないなら。

 

その、無価値で無意味かもしれないが、

誰かがそうあってほしいと願ったものを、愚直に守り続けていくことは、

たぶん、僕にしかできないんじゃなかろうか?

 

 

 

 

誰かがこれをやらねばならぬ、期待の人が俺たちならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

別にさ、誰も、自分ごときには期待なんかしてないんだよね。

 

もちろんそれは大嘘で、

誰もが自分以外には、遵法精神や品性の類を要求してる。

 

誰も自分に期待なんかしてないってのは大嘘で、

誰もが自分に期待してるんだよ

 

最低限度マトモであってくれ、

できれば好ましい要素を1つでいいから持っていてくれ、

積極的に友人であってほしい魅力を備えていてくれ、ってね。

 

 

 

 

 

誰も期待してない、だから押し付けるな、ってのは大嘘だよ。

 

女は男に男らしさを求めているし、男は女に女らしさを求めている。

 

誰がどうウソをつこうが、

それを否定したらセックスなんかできない=お前という人間は存在しないはずなんだから。

 

 

 

 

つまり、自分の抱く信念は、きっと誰かが必要としているものなんだよな。

 

それが間違いなく正しいものだと、自分だけでも信じていられる限り

 

だからこそ守ろうと思うし、

だからこそ自分だけでも守ろうと思うし、

だからこそ自分だけでも心の中で大切に守ろうと思うし。

 

 

 

 

 

僕は昭和の男・・・とは名ばかりだが、

バブル景気を覚えている最後の世代であり、

「世代間人口格差」という、人類史上初となる社会問題に対峙する最初の世代でもある。

 

直近半世紀で、人類は劇的に変貌してしまった。

その変貌の速度に、人類の知性や常識が追いついていない。

 

だからこそ、

「守らねばならない男らしさ」を遵守しつつ、

「捨てねばならない男らしさ」を唾棄しつつ

 

 

 

 

 

その信念は、僕が僕にだけ課す、何の意味も、何の理由も、何の必要も、何の価値もない、ただの妄想にすぎない。

 

それを守り続けた先に何もなかったとしても、

それを守ろうとし続けているバカがいると、

誰かに届くかもしれないだろ?

 

 

 

 

誰も僕に期待なんかしていない。

でも、誰もが僕に対してマトモであってくれるはずだと望んでいる。

 

なら、僕が男らしさを守り続ければ、誰かがそれに救われるかもしれない。

 

 

 

 

 

平成を超えて令和の時代とその先に残すべきものは「男」の生き様だと、僕は思っているのだよ。

 

 

『社会的な価値観』がある そして『男の価値』がある
昔は一致していたがその「2つ」は現代では必ずしも一致はしてない
「男」と「社会」はかなりズレた価値観になっている………
だが「真の勝利への道」には『男の価値』が必要だ…

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ふんぞり返るわけでもなければ、女に媚を売るわけでもない。

 

あくまでも傲慢に、どこまでも傲慢に、正しいと信じたものだけを守り続ける。

その傲慢さが、知恵や理性によって、より適切なものへと変貌し続けていく、

そんな生き方ができるような男としての生き様を、僕は「美しい」と感じるのだよ。


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