心理学云々社会実験云々の話題じゃあなくて、さ。
子供がはしゃいでいるとき、親は周囲を警戒する。
楽しんでいる人がいるなら、傍らで冷静になろうと努めている人がいる。
その「場」におけるテンションの総和は常に一定になるのではなかろうか? と。
目の前でいきなり泣き出されても、こっちはかえって冷静になってしまうように。
誰かが楽しめる世界を作るために、誰かが歯を食いしばって涙を流している、のだと、
少なくとも僕は思っているし、実感とともに確信している。
だからこそ、こんな身勝手な感覚が身についたのだろうがね。
つまり自分が陰鬱なときは、代わりに誰かが楽しく生きているんだと思っているし、
自分が楽しく笑っているときは、ツボにこなかった人が仏頂面をきめているんだろうなと思っている。
まあ、なんだ。
「自然界は変化を嫌う」という物理学的な大原則にも似ているよな。
実際はもっと細かく、きちんと体系的な論理に仕上げてあるんだが、
この感覚を共有できたことは過去に一度もないので、
他人様にこれ以上を喋る気にはそうそうならん。