まあ、話題としてはこの↓リンク先で読んでくれればいいよ・・・
【虐待】 全身ヤケドの3歳娘をラップに包み放置しパチンコへ…5歳長男が近所に助け求め発覚
僕の受けた虐待は非常に特殊でな?
そもそも幼少期の僕は親よりも知能が高く、親よりも博識だった。
しかも親が愚劣なわけではなく、両親の偏差値を合計すると150に届くし、
父親に至っては医者かつ大学教授だからな。
普通に考えたら、そんな子供の将来に期待して、親が最大限応援してくれるはず、だったんだけどな・・・
母親が、僕に、嫉妬した。
・・・というか後に、母親がそう自白している。
僕に一発殴られて、肋骨が折れる痛みを知ってから、
僕の肋骨を24本中22本までヘシ折り続けてきた事実を理解して、それから更に10年経ってから、自白しやがった。
「あなたが、私にできなくて諦めたことを平然とやってのける、その頭脳が羨ましかった」んだとさ。
まあ、おかげで僕は非常に特殊な虐待を受けたよ。
親が医者だから診断書を書かせて法的根拠を作らないようにしたし、
跡が残って虐待がバレるようなこともしなかった。
要するに、客観的に虐待があったと証明する手段は、ない。
そのぶんいくらでも責め苛むようなマネは行われたけどな。
2つだけ、虐待の証拠になる傷が今でもあるけど、
どっちも手の傷だし、見た目は地味だから誰にも信じてもらえはしないけどね。
左手なんてカニ食べる用のハサミで手のひらを貫通されかけた、
一歩間違えたら一生左手に後遺症が残るような、
そりゃもう正気とは思えない芸当だったんだけどね・・・まあいいや。
このブログ読んでる人なら、僕が知能と体力の両方に優れていることは知っているだろうが、
僕は幼稚園に上がる頃には「殺される」という確信を抱いていたから、
実「践」ではなく実「戦」形式の格闘を独学自習し始めたわけだ。
おかげさまで、まあ色々と知り合いもできたし、強くもなった。
平和な日本だと言われて久しいものの、
本当に殺されかねない日々の中で、僕は自分の命を守るという行為?に没頭していったわけで。
10年間必死に鍛え続けて、覚悟を決めて、一発だけ、手加減して、母親の肋骨をヘシ折った。
手加減しなけりゃ、僕の虐待に加担していた家族全員を、この右手だけで撲殺できた自信はある。
いわゆるスポーツ格闘と違って、防御以外は、精度ではなく威力だけを追求した打撃だけ練習したからな。
僕の場合は、そうやって、中学生になってようやく、暴力を暴力で止められたわけだが・・・
まあ、結果は今の僕を見ればわかる。
事故で長期入院した入院費用で財産が飛び、
再受験するための資金は口座ごと潰された。
経済的虐待ってやつだな、両親の権力的には十分に可能な。
そうやって、大勢に迷惑をかけて、こっちに逃げてきて、今や社会の最底辺だ。
元・日本一の学力を誇っても許されたはずの僕は、
肉体的虐待、精神的虐待、経済的・社会的虐待を受け、今ここにいる。
だから、辛いとか、かわいそうとか、そういう言葉を喋ってる、
ごく当たり前な感性をしている人たちを見て、僕は思うんだ。
そういう人ほど、自覚もせずに、理解できないほど優れた子供を見て、嫉妬して、虐待に走りかねないんだと。
僕が生き証人だからな。
俺だけは、私だけは違う。
犯罪者や無自覚な悪党、失敗するルートに突入した自覚のない奴って、みんなそう言うんだよ。
だから、こういう話題に率先して反応してる人を見るたびに思うんだ。
当たり前の、普通の感性をしているからこそ、普通に、当たり前に嫉妬をして、
あるいは子供特有の面倒臭さに嫌気が差して、
普通に、当たり前に、育児放棄をするし、虐待もするようになるんだよ?
あなたが普通であるからこそ、普通に嫌になって、普通に感情的になって、普通に虐待するんだよ?
普通であることは美徳じゃない。
賢明かつ理知的であろうとできなければ、価値どころか意味すらない。
自分は普通だと思っている人こそが、虐待に走るんだから。
僕の両親は、世間から見れば高学歴で博識で金持ちな夫婦だったけど、
普通というよりは模範的と称されていたけど、
それでも僕は虐待され続け、この有様だ。
お願いだから、「普通の子供」だとか「普通の人」だとか、
「普通」っていう概念にこだわり続けないでほしい。
僕は強く賢い子供として、マジで近所でも評判だったんだけど、
母親はいつも僕に、お前は普通じゃない、普通の子はそんなことをしないと、
怒鳴って、殴って、罵倒し続けていたよ。
普通の子って、なんだよ。
普通の人間って、なんだよ。
どうして強く賢いはずの僕が、普通じゃないというだけで、自分より愚劣なお前らに虐げられなきゃいけないんだよ。
僕はいつも、お前は普通じゃない、普通の子はそんなことをしないと言われ続けた。
だから「普通」については、命を削って、ありとあらゆる側面から学習・分析し続けた。
親が暢気に寝ている間もずっと、「普通」とは何かを考え続けてきた。
そして早々に結論は出たんだよ、普通の人間は、普通という概念について考えたり悩んだりしない。
もちろん普通とは何なのかなんて知りもしないくせに、
自分と違うものには、その対象の優劣を問わず、普通ではないという理由でもって排斥しにかかるんだ、と。
だから戦争が起こる。だから夫婦喧嘩が起こる。
だから普通の人ほど、「普通」のすれ違いで争う。
普通の人は、僕と違って、その程度のこともわからないほど愚劣だから。
普通ってのは、お前にとって都合のいいさま、じゃあねえんだよ。
賢くて強くて優秀だったはずの僕ですら、
親にとって最高に都合のいい存在だったはずの僕ですら、
普通じゃないという理由で嫉妬されて、このザマだ。
だから、子供がバカであろうが優秀であろうが、
普通の人間は、その事実に対して、それぞれ別の理由で嫌悪感を抱き、虐待に走る。
普通の子供は親より高い知能なんか持って生まれないし、
普通の子供は親に何でも頼って手間をかけさせるし、
普通の子供は親の言うことなんか素直に聞かない。
「普通」
あなたは僕に対して、普通とは何かを教えてくれるだけの知性がおありか?
あると言えるなら、自分は普通の人間だから、虐待なんか絶対にしないと、傲慢なままでいてほしい。
ないかもしれないと思うなら、「普通の人間」なんていないと知ってほしい。
自分に都合のいいものだけが普通だとは限らないと、学んでほしい。
僕のような人間を、これ以上増やさないために、常に冷静であってほしい。
深夜に血まみれで交番に駆け込んだ5歳当時の僕は、
親の職業や身分を聞かれた途端に「お父さんとお母さんにも事情がある」と放置されたことを理解したうえで、
社会制度として虐待をなくすことはできないんだと、理解ではなく確信してほしい。
たとえ子供を虐待した大人に容赦ない厳罰が確定したとしても、
子供にとっては、それでも大好きなパパとママでしかないのだからな・・・
子供は親に愛されなければ死んでしまうから、
どうにかしてパパとママから愛されようと必死になるんだ。
だから、たとえそれがどんなクソ親でも、子供から奪い去ることは「難しい」。
虐待を減らすための方法とは何か?
自分だけは普通の人間だと思っているあなたが、
「普通の人間であるということ」に価値を見出さないようになるしかない。
普通じゃないから、自分にとって都合のいい存在ではないから、排除する。
その心理は全ての動物が持つ、生存のために欠かせないものだ。
だからこそ、ヒトだけが持つ理性によって、その衝動をおさえなければならない。
自分だけは普通だ、
俺だけは、私だけは違うだなんて、
決して思い上がることがないように。
虐待されたこともない人ほど、虐待の話をしたがるよな。
一晩中殴られ続けて鼻血で鼻が詰まって呼吸できなくなる苦しさとか、
折れた肋骨の扱いの面倒臭さとか、血を流しすぎて寒気を感じたときの謎の浮遊感とか、
そういったことは何も知らないのに。
だから平気で鼻血が出るまで殴れるんだろ?
だから平気で子供のアバラを足蹴にしてヘシ折れるんだろ?
普通の人は、虐待されたことがないから、
虐待ができてしまうんだろ?
だから僕にアバラをヘシ折られるまで、
僕の受け続けてきた痛みがわからなかったんだろ?
身を守るための、たった一度の暴力ですら、
その痛みと苦しみがわからなかったから、僕を殴れたんだろ?
僕が体罰完全禁止に反対する理由は、
「痛みを知らない普通の人間」に虐待されたから。
その虐待を唯一止められたのが、暴力だから。
普通の人間は、殴られる痛みを知らないから、殴れるんだ。
普通の人間は、殴られる痛みを知らないから、殴り返せる力の大切さを知らないんだ。
普通の人は、痛みを知らないから、虐待ができるんだよ。
未だに虐待の日々を思い出すだけでゲーゲー吐き散らかす僕の醜態なんて、想像もできないだろ?
僕がこの文章を書くまでに二度吐いたことくらいは、ごま塩程度に覚えておいてくれ・・・
たった原稿用紙9枚ぶんの文章で二度も吐くほど、虐待というものは後遺症をもたらすもんさ。