この文章の大半には読む価値がない。警告はしたぞ?
漢字の由来のお話・・・といっても単純なものだが、
「推」という漢字は「手で隹(トリ、bird)を押す」という意味のものであり、
隹の部分はスイという音を表すので、手の部分がメインであるわけだ。
そしてよく考えてみれば、
「推進」だの「推理」だのという単語はいずれも、
進めることをドウゾドウゾ「と押す」、理屈を繋げて考える意識「を押す」、オシススメルという意味をもっている。
まあ特に異論はないだろうし、冷静に考えてみればごもっともな話だ。
だからこそ「推し」という表現には一定の押し付けがましさが嫌でも入るし、
それは「推」という漢字自体が元々持っている意味としても正しい。
・・・のだが、ただ押し付けがましいだけでは不快感というものはそうそう生じない。
それこそ「有難迷惑」という言葉があるように、
古今東西人間の感情というものは「善かつ非」だの「悪かつ是」だのという、
一見すると相反しているようなものを平然と隣に並べてしまうものである。
善意でやってくれていることはわかるけど、有益ではないし何なら有害だから、有難迷惑は「善かつ非」である。
たとえ善意の産物であっても肯定するわけにはいかないので、偽善と呼ばれるものも「善かつ非」である。
救済なり何なりという結果が善であれ、その過程が売名宣伝の類でしかないならば、当然そうなる。
ボランティアで有名な人といえば「杉様」こと杉良太郎だが、
彼は若い頃からずっと「お前のやってることは売名宣伝だろ?」と誹謗中傷され続けてきた結果、
「ええ、そうですよ。なので私と同じことをやってからもう一度質問してください」と返すようになったとか。
本来ならばその意図は挑発ないし嘲笑や意趣返しの類なのだから、礼儀作法としては無礼に相当する。
だがただの売名宣伝で数十年も、借金をしてまでボランティアを継続するような人は、そうそういるものではない。
彼がそのような返しをするに至った経緯、過程、そして堂々たる実績を鑑みれば、その行いを責めるべき道理はない。
そんな彼が「目障りな雑音」に対処する術を得たのなら、それは「悪かつ是」であろう。
自分が彼と同じ立場であったのなら、そう言い返したくもなる理由なんて誰でも察してとれようもの。
少なくとも日本国の義務教育で教わる道徳原理に基づく限り、賞賛はできないが共感・斟酌・酌量されるべきものだ。
かくして善悪とはこの世の法治主義や民主主義の根底を貫く定義に近い部分があり、
是非とは人間の感情を加味した側面を持ち、かつ善悪に近い判断基準であるといえよう。
善悪と是非は、よくよく考えれば矛盾はしないのだ。
しかしながらこの「推し」という表現、
よく考えてみれば善悪としては善寄りなのかもしれないが、
仮に善悪の判定をクリアできても、今度は是非の部分できっちり割れてしまう。
お前の好みなんてどうでもいい、知ったことではないというならば、悪ないし非であろう。
新しい可能性を教えてくれてありがとう、興味を持つことができたというならば、善ないし是であろう。
いわゆる個人差、一般化することが「できない」というよりは「許されない」領域に入り込んでしまうからだ。
もしあらゆるものを肯定し許容しなければならないというなら、犯罪だろうが何だろうがという話になってしまう。
だから善とはその性質上、常に一定の排他性を含まざるをえない。
これは是非の問題も同じで、全てを一律に是とすることは、本来ならば非とすべきものさえ看過してしまう。
何かを選ぶということは、他の何かを選ばないということだから。
何かを推すということは、他の何かを推さないということだから。
これは論理の問題であって、唯一無二のものであればその限りではない(地球人が地球を推すとは言わない)。
この、善悪(定義)と是非(感情)の部分で割れてしまうものには、要するに「面倒臭さ」があるわけだ。
個別に対処しなければならないから。
他人に何かを強いられるのは総じて面倒か苦痛を伴うものであるが、
押し付けてくるだけならば、そういう奴なのだと理解したうえで対処ができる。
問題は、「『押し付けてくるそれ』を推している相手」の人格なり価値観なりを否定しかねないという点だ。
あなたがそれを愛好しているなら、私はあなたを尊重したい。
だが私はあなたが愛好しているそれには興味がないし、何なら好きでもないし、周囲にあると邪魔である。
私(A)は、
あなた(B)を愛好し尊重することはできても、
あなたが愛好し尊重するそれ(C)をあなた(B)と同一視することはできない。
Aは、
Bを愛好し尊重するとは言ったが、
Cを愛好し尊重するとは言っていない。
Bが好きなら、Bが好きなCをも愛好しろだなんて、そんな道理は通らない。
あるいはAはBを尊重するし、AはCをも尊重できるかもしれない。
だがBの「推しだから」Cを「推す」とは言っていない。
「押し付けがましさが嫌だ」というのは、細かく考えていけばそういう話だ。
あなたを尊重してもいい。
あなたが好きなそれをも尊重したって構わない。
だがあなたが好きであるからという理由で、私にも好きになれと要求されたって、それは中々難しい。
ノンケの女性が好きなイケメン俳優は、ホモではないノンケの男性にとって好きになるのは難しいものだ。
矮小で卑怯な犯罪者の好む手口は、善良で賢明な小市民に共感されうるものではありえない。
命を預かる親なり医者なりは、命を軽視する無責任な政治家や底辺DQNの主義主張を肯定するわけにはいかない。
善悪の問題として容認できないもの、是非の問題として容認できないものは必ずある。
全てが善ではないし、全てが悪ではないように、全てが是認されうる道理はないし、全てが非難されうる道理もない。
性別なり年齢なり性的嗜好なりが同じであったとしても、
立場、職業、年齢などに応じて容易に変わってしまう。
そうなると最終的には善悪でも是非でもない、正誤の問題になってしまう。
あなたを尊重したい、あなたが好きなそれを否定するつもりはない。
だからといって私にまで推すことを強制されたくはない。
なぜ「推したがる」人は、それを「推しつけている」相手を尊重できないのか?
相互に尊重できないのなら、
推したい奴が推しつけている相手を尊重できないのなら、それは誤っている。
すなわち悪であり、非である。
推したいと主張した奴だけが優先・是認されるというなら、
民主主義だの法治主義だのというものは成立しない。
無差別殺人テロを推したい凶悪殺人犯を社会の、世界の基準にするわけにはいかないように。
あなたのことを善だの是だのとしていられるのは、
あなたが私にとって有害ではないからだ。
もしあなたが私を尊重することなく推しつけるのであれば、
私にとってあなたは有害な存在になる。
そうなればもはや悪かつ非であり、存在そのものが誤っているとしかいえなくなる。
これはカルト宗教でも政治政党でもアイドルでも娯楽コンテンツでもキャラクターでも何でも同じことだ。
お前を「尊重する」ことでさえ本来ならば面倒なのだから、
せめてお前が何を愛好しようが黙っていてやるから俺の前で騒ぐんじゃねえよ、という話になる。
黙っていてほしい人の前では黙ろう。
騒ぎたい人の前でだけ語ろう。
これを「雄弁は銀、時に適った沈黙は金」と表現したのがベートーベンだが・・・
賢い側、上記の理屈がわかりきってる側にとっては、
最初っから「はいはい、わかりましたよ」で済ませてくれない側の、
未熟さなりアホさなり若さなりが問題なんだけどね・・・
「私が好きなもの=私の価値」だと思ってるんだよな、女・子供・馬鹿は。
だから何のゲームをやってるのかでゲーマーとしての格付けが決まると思ってる。
何のアニメを見てるのかでアニオタとしてのランクが決まると思ってる。
何の漫画を読んでるのかで漫画オタクとしての存在価値が決まると思ってる。
誰が何を愛好していようが何を嫌悪していようが、
その事実でそいつ個人の魅力が変わることはない。
愛好ないし嫌悪した結果影響を受けたぶんだけ変動することはあってもだ。
ものすごい正直に言うなら、
お前が今更興奮して興味を示している程度のソレは、
俺にとっては既に体験したものだから、騒げるほどの熱量なんか残ってねえよ、という話になるが・・・
任意の相手が常に自分と同等以下だと思ってる側の未熟者には、
それが「自慢している」ように思えるのだろうね。
・・・僕はガキの頃からずっとそういう感覚しか持ち合わせていなかったから、
自分が何を好きだとは表明するが、
他人にそれを好きになってほしいとは表明しないで生きてきた(つもりだ)。
少なくとも「推せばファンが増えるはず!」などと思ったことは一度もない。
もし、あるいは、何にでも共感を示すのが大事だというなら、テメェがまず僕に共感を示せや阿呆、と。
共感の推しつけは、相手を尊重しない無礼者のすることなのですよと。
いちいち周囲他人に喧伝するのではなく、淡々と魅力や愛を語ればいいだけだ。
こういうのって「平成臭い」宣伝広告戦略の産物なんだろうね。
話題ガー、共感ガー、親近感ガー。
馬鹿と女とニワカとガキは騙せても、大人と男と人間に通用すると思ってはいかんよ、うん。
科学的に言うなら、脳が未分化な原始人のツールではあっても、脳が分化したホモサピエンスの生き方ではない。
まあそれ以上に、
ネット世界がカネになることを嗅ぎつけた連中が、
ネットの話題を独占しようとSEO(検索エンジン最適化)なんて商売やってる時代だからなあ・・・
ググって出てくる最初のサイトって、似たレイアウトで情報スカスカなものばっかりだろ?
あれはグーグル様の検索AIが好むものをトレースしまくった結果だからね。
サイトないし情報が有益だからトップにきてるわけじゃない。
推しがウゼェのは、TwitterJP運営によるパヨクズ記事のゴリ押しがウゼェのと同じ。
イーロン・マスクが健全化した結果、DAU(デイリーアクティブユーザー)が激増したそうだ。
推しがウゼェのは、google検索結果の上位に表示されるサイトが軒並み無価値なのと同じ。
邪魔なサイトを消したいなら「ゴシップサイトブロッカー」とか「duckduckgo」とかオススメしておく。
推しがウゼェのは、そのように書いただけの僕が、これを読むあなたに押し付けているかのように誤解された結果と同じ。