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1691、「十年一昔」という言葉がある時代に二千年前の格言がそのまま通じると思うのは流石にどうよ

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人類がまだ長くても50年しか生きられなかった頃ならば、

長く生きているというだけでその経験が貴重だっただろう。

 

還暦(十干十二支の最小公倍数が60)という言葉が生まれる頃には、

60年生きる人がそれなりにいたということだから、

ただ生きているだけではなく、長く生きたぶんの技能や知恵があるからこそ尊かったのだろう。

 

今となっては80、90まで生きるのが珍しくなくなり、

歩く、食べる、排泄するということさえできなくなった、介護の手間がかかる人が大勢いるのだから、

ただ生きているだけならむしろ「有害」と呼ぶべき状況になってしまっている。

 

これはただの現実であって、要介護者の存在を否定しているわけではない。

 

とはいえ「介護疲れ」なんて言葉が生まれるほどには、

介護が必要になった「手間がかかるだけの人間」の扱いを、

施設やヘルパー(介護士)に丸投げしているのであって、

 

子育てはまだわかるけど、大人なのに子供みたいに手間を奪っていくなら、邪魔だ。

老いたそいつに未来があるわけでもないのなら尚更。

子供には未来があるから手間をかける価値がある。

 

長寿が珍しいことではなくなり老化と痴呆の問題が顕在化しつつあるのだから、

痴呆という概念すら希少だった時代の価値観や格言を、

いつまでも継承し続けるだけではよろしくないだろう。

 

 

 

かくいう僕こそが伝統やら格言やらを大事にして生きてきた人種だから、

伝統そのものを軽視しろだなんて絶対に言わない。

守るべきものと、見直すべきものとがあるという話だ。

 

もちろんフェミニズムだのポリコレだのという綺麗事、

結論ありきの感情論ではなく、

どこまでも血も涙もない科学的事実および現実に即したものを、冷静に吟味すべきだという話。

 

 

 

現代の人類社会を維持するための科学的基礎教養を得るためには、

18歳まで教育を受けただけでは足りないから、

22歳まで教育を受け、そこからさらに専業分化させる必要がある。

 

医者なんて24歳まで学んでさらに2年研修を積んで、ようやく新米が一匹できあがるわけだ。

人生がおよそ85年に延びたとはいえ、そのおよそ3割を全て勉学に捧げて、ようやくスタート。

 

世界が便利になるほど、人生を学習と自制に費やす必要も出てくる。

電気の使い方を間違えれば感電して死ぬし、

自動車の使い方を間違えれば轢殺されて死ぬ。

 

しかしその生き方は、若く元気な時期を勉学に捧げる必要があるということだ。

女が最も出産に適している10代後半から20代前半の時期と被るわけだから、

おおよそ女には適さない。

 

でも、だからといって、女の性生理を優先させた社会構造なんて作ろうと思えば、

若くて元気で何でもできる時期に脳を磨かず生殖を優先させろというなら、

人類全体の進歩や利便性の維持が不可能になる。

 

だからこそ男が学び修め、女は産み育てる。

 

この古い価値観がいかに優秀で合理的であるのかという話。

価値観が古いか新しいかで正しさは決まらない。

古くても正しいものがあり、新しいだけで間違いだらけなものもある。

 

生き方の多様性を実現できるようにするべきだと主張するのはいいが、

ならその多様性の実現と保護は、お前がやれ。

 

 

 

それゆえに僕の提案する一例としての、合理的かつ社会的な生き方は。

 

 

 

女にはある程度の早期教育を強いる。

若いうちに出産と育児をすべき必要性を説き、婚期を逃すことのないようにする。

 

寿退社上等、社内結婚上等。

「社会人になったら出会いがない」という問題を積極的に解決させにいくわけだ。

 

それこそアメブロの親に相当するサイバーエージェントは、

若くてキレイな子を集めてドヤ顔キメてるような三下ド畜生のクサレヤクザだが、

女を目当てにして男が頑張るし社内結婚の縁も生まれる、その合理性自体は否定すべき余地がない。

 

実際に子供を出産し子育てを経験した女性のうち、子供が好き、育児が好きな人に保育を任せる。

 

社会復帰を考えている女性には、

甘えを一切許さない=男と同等の生き方を行える可能性も残す。

ただし女性に配慮しろというなら、女性だけで全て完結させるようにする。

 

ひどい話だが、セクハラ云々という問題の完全解決のためには、

女を物理的に隔離しなければならないわけだからな。

セクハラ云々が少しでも嫌なら、女性だけで起業し経営すればいい。

 

そして一度「女性専用」コースを選んだ女性は、二度と男女共生の領域に戻れないようにする。

 

その醜悪さをあえて見せて育てることで、多様性の実現()が容易になる。

女は女だけでやれよと。

男がウザい邪魔だというなら男の助けなんて一切借りるなよと。

 

男女で別の動物なのだから、

共生のためには適性から逃げてはいけないのだと。

結果で語るときに甘えは許されないのだと。

 

女性ならではの感性ガーという可能性は、男性だって評価できるし、男性が経営する企業でこそ尊重されてきた。

男性は女性を差別しているのではなく、

女であることを言い訳にして特権を要求する無能の有害さを排除してきたにすぎないのだ。

 

そういった「新しいだけで完璧に間違っている価値観」を晒し上げ隔離することも必要だ。

泣いても喚いても、教えても忠告しても聞かなかったのだから、一生悔いて死ねと。

 

その社会実験は、誰かがいつか実行しなければならないだろう。

 

それが早ければ早いほど、

「生殖機能を失ってからのほうが人生が長い」生き物と化した現代社会における女という存在の生き様は、

より適切な、現実的なベストミックスが見えてくるはずだ。

 

価値観の新しさだけで綺麗事が正当化されるだなんて、ナメた寝言は叩き潰さなきゃいけない。

 

人類が直近半世紀でどれだけ異常な進歩を遂げたのかを、

もっと大局的に理解させないといけない。

 

 

 

 

時代(笑)に関係なく正しいことがあり、時代相応に改めるべき認識があり。

 

前者は大事に守られ続けるべきであり、後者は丁寧かつ迅速に吟味検証されるべきだ。

 

選択的夫婦別姓=戸籍破壊=家族解体実験は既にソ連がやって大失敗してるんだからさあ・・・


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