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1690、努力には種類があると思う

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努力には種類がある。下にいくほどスゲーものになる。

 

 

 

1、無駄な努力

2、間違ってる努力

3、効率の悪い努力

4、適切な努力

5、効率のいい努力

6、とてつもない努力

7、努力とは呼べない何か

 

 

 

順に説明していこう。

 

まあ、たいして重要な分類ではないけどな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1、無駄な努力

 

たとえば、

女に生まれた時点で、スポーツをしようと思っても男には絶対に勝てない。

女の世界一は、男子高校生どころか男子中学生並みの能力しかないからだ。

 

これはもう、どう努力をしたって覆るものじゃない。神様に文句を言え。さもなくば泣き寝入りしろ。

 

同程度の才能・資質があり同じ基準で競う限り、女が男に体力で勝つのは不可能だ。

 

どうあがいても「絶対に」不可能なことってのは幾つもあって、

世界平和が実現できない理由と似たようなもんだ。

 

「絶対に」無駄なことってのはあるんだ。

 

スポーツの話をするなら、筋肉の性能の大半は遺伝で決まる。

筋繊維の数も、質も、疲れの取れやすさも全ては遺伝である。

筋繊維と神経機能を鍛えることは誰にでもできるけど、持って生まれた才能の差は絶対に覆らない。

 

全てがそうだとは言わないが、

努力をすればどうにかなるかもしれないという希望すらない、そういう領域も存在するわけだ。

 

「才能はなかったんです、全然勝てなかったんです、でも努力をしたから成功したんです!」

 

勝てるようになるには、最低限度の才能が要るんだよ。

それは努力の成果じゃない。最低限度の才能ありき、幸運ありきなんだよ。

 

何度だっていうが、女に生まれた時点で、スポーツをやるなら絶対に男には勝てない。

勝てるという時点で、勝つために必要な最低限度の前提条件は揃ってるはずなんだ。

 

ビジネスの世界なんて超有名だろ?

ユニクロの柳井は親のスネかじりのマグレ当たり、

ソフトバンクの孫は在日特権で不正蓄財した親のスネかじりと在日特権。

 

かじれる親のスネすらない人には絶対にマネできない。

 

ビジネスの成功者が本当に実力や努力で成功したというなら、

彼らが仕掛けては失敗した事業の数がいくつあるのかを数えてからにするべきだ。

ユニクロなんて農業に手を出して失敗してるので有名だし。

 

彼らはさも努力で成功したかのようにほざくが、大半は幸運の産物だ。

最低限度数字が読める知能、教育を施してくれた親の資産、虐待も受けず内戦に怯えることのない治安。

 

それくらい当たり前だと思うか? それすらないからと苦悩して自殺する人がどれだけいるのか。

 

いずれにせよ、努力をすれば成功するというなら、この世界に敗者や自殺者などいるわけがない。

何をするにしても、成功の大半は幸運にすぎない。

 

成功者や勝利者が努力でその結果を得たと勘違いすることから、「無駄な努力」という悲劇は生まれる。

 

男に生まれれば、何もしなくても女に勝てる。

資産家の子に生まれれば、何もしなくてもカネには困らない。

美女に生まれれば、何もしなくても結婚相手には困らない。

 

あなたもガキではないのだから、そういう「理不尽な幸福」の前に絶望を覚えたことくらい一度はあるだろう?

 

だから「無駄な努力」を回避するためには、

成功者や勝利者とは大半の人にはマネできない異常な例外なのだと理解し、

その原点には絶対に「最低限度以上の幸運」がある以上、

成功者でも勝利者でもない自分が学ぶべき相手は、

自分と同じように幸運に恵まれなかった失敗者や敗北者であるはずだと、

冷静に理解するしかない

 

そして何よりも、

「学校の勉強」というものは、

人類史における膨大な失敗のうえに成立した上澄みでしかない。

 

学校で教わるような話はその全てが、

誰かの失敗や絶望、戦争の死者、実験の失敗に伴う死者、

ないし現場での失敗から生じた死者などの経験から得られた教訓にすぎない

 

学校でわざわざ教えてくれるような話はその全てが、

マニュアルとは、流した血で書かれたものなのだ。

ゆえに学校の勉強すらサボるような奴は、そもそも努力の価値を勘違いしている。

 

学校で教わる話は、無数の敗北と失敗と絶望から生まれた教訓だ。

 

お前も同じ失敗は繰り返すなよ?

 

わざわざ教えてやるけど、それを知らずに失敗したバカが大勢いたからなんだぞ?

 

この程度のこともわからない奴はどっちみち、幸運に恵まれなければ失敗するぞ?

 

・・・・・・親や教師が同じようなことしか言わないのは、同じ失敗を繰り返してきたからだ。

 

「無駄な努力」を繰り返した結果、

なぜ口やかましく説教されるのかさえ考えられない己の未熟さを恥じるに至ったからだ。

 

 

 

繰り返すが、無駄な努力というものはある。

努力しても「絶対に」得られないものがあるからだ。

 

努力で成功したという詐欺に騙されてはいけない。

あなたは努力が報われるほどの天才でも幸せ者でもないのだから。

 

努力とは凡庸な弱者のすることだ。

幸せな天才のすることではない。

 

仮にあなたが才能や資質の面において天才であったとしても、

少なくとも今この瞬間は無能なのだろう?

なら今この瞬間の無能さを理解し受け止めてから、今の自分に必要なことをするしかない

 

成果を期待せず、しかし目指すものがあるのなら、今の自分に必要なことをするしかない。

 

その現実を受け入れた人間にだけ、努力は意味という果実を齎してくれる。

 

 

 

2、間違ってる努力

3、効率の悪い努力

 

 

 

既に述べた通り、

女に生まれた時点で男には勝てないし、かじれる親のスネがない時点で勝ち組にもなれない。

 

どうあがいても最低限度の(どこが最低限度じゃボケという突っ込みはさておき)幸運に恵まれなかった人には、

それ相応の努力や態度が要求される。

 

「練習してもいないのにうまい奴」のマネをしたってうまくいかない。

 

「教わってもいないのにできる奴」のやり方は、そいつ専用のものだ。

 

必要な努力とは、今の自分に必要なことであって、

恵まれた誰かが必要としたことの猿マネではない

 

美女の努力は美しさの維持、

デブスの努力はダイエットと健康管理、

両者ともに必要なことはそのための勉学と実践。

 

痩せすぎて困ってる人の努力は太ること、

太りすぎて困ってる人の努力は痩せること。

 

今の自分に必要なものをやるべきなのであって、

他の誰かが必要とした手段をマネするべきなのではない。

 

問題点が共通しているなら、努力の方法ごとパクればいい。

異なる問題点を同じだと勘違いしてしまうと、努力の方法をパクってもうまくはいかない。

 

今一番大切なことは、

自分の抱えている問題を正しく理解することと、

その問題に応じた正しい解決策を見出すことだ。

 

昔の人はそれを「八正道」と呼んだが・・・まあいい。

 

 

 

4、適切な努力

5、効率のいい努力

 

 

 

では「努力の効率」とは何か?

 

当たり前なんだが、

無理をしたって続かないし、心身を壊すだけである。

だが「無理をしない努力」なんてあるわけがない。

 

この矛盾をどう解消するのか?

 

たとえば、ウンコが出そうな人はトイレに行くだろうし、漏れそうな人は必死にトイレを探すだろう。

眠かったら勝手に寝落ちするし、ハラが減ったら何かを食うし、

本当に必要だと思っていることなら、人間は嫌でも実行できる

 

つまり実行できない、継続できないというなら、思っているほど困ってはいないのだ。

 

車にひかれそうなときは全力で回避するだろうし、

電車に間に合わないときは駆け込むだろうし、

約束があるのに寝坊したときも慌てるだろう。

 

それは実際に困っているから実行される対処法であって、

痩せたいのに運動も節制もしないなら、

太っていることに対して切実に困ってはいないということになる。

 

困っているのは事実でも、困っている自分の扱いには困っていない。

 

いずれにせよ。

 

「努力の効率」とはこの、どれだけ必死になれるのかという部分で決定される

 

必死になるためには自分を追い込まなければいけない。

 

逃げ場をなくして問題と、現実と、向き合わなければならない。

 

だから努力というものは疲れるのだ。

気持ちも体力も、あるいはお金も時間も盛大に浪費するからだ。

 

嫌なことと向き合う覚悟が必要で、向き合い続けて突破する勇気が必要で。

 

日常生活において覚悟と勇気が必要なことって、何もないだろ?

というか覚悟や勇気って言葉自体、日常生活だと絶対に使わないだろ?

 

でも、努力をしたいなら、覚悟して勇気をもって実行しなければならない。

 

すなわち努力の効率を高めるためには、

覚悟するために、勇気を持つために、

どれだけ自分をサポートして根回しできるかが大事だ。

 

・・・いっちゃ悪いが、貧乏人には無理だ。

忙しい人にも無理だ。

努力をするためにも最低限度の幸運が必要だと、既に述べた通り。

 

お金や時間や体力・気力に余裕があるうちに

努力を始められることもまた、幸運としか呼べない。

だってそれ、「幸運」以外にどう呼べばいい?

東日本大震災の津波に飲まれて死んだ人や、

母親に虐待されて殺された赤ちゃんは、

努力をする、しないの問題ではなく、

できるか、できないかの幸運の問題だろ?

 

努力ができるのも、しようと思えるのも、それすら幸せなんだ。

 

それすらできない人と比較しても幸せにはなれないが、

それができるだけでも幸せなんだと、

覚悟を決める役には立つ

 

 

その程度の幸運には恵まれているなら、

あとはやらなきゃいけない理由を詰め込んで、

最初の小さな一歩を踏み出す勇気をひねり出すだけだ。

 

 

誰かにバカされるのが恥ずかしい?

そんなものは振り切れ。

 

自分に必要ならウンコだって出す。

自分に必要なら汗だって流す。

自分に必要なら腰だって振る。

 

振り切れないなら、振り切れるよう努力をするしかない。

 

デブのダイエットは恥ずかしい?

なら深夜に散歩しろ。

誰もお前のことなんか見てねーから。

 

そうやって深夜の散歩に慣れたら明るいうちに出歩け。

誰もお前のことなんか見てねーから。

 

バカの復習は恥ずかしい?

なら図書館で必死こいて基礎からやり直せ。

誰もお前のことなんか見てねーから。

 

そうやってできるようになったら自宅でやれ。

誰もお前のことなんか見てねーから。

 

 

他人がバカにするから努力をやめていいのか?

 

自分がやりたいから、自分が必要だから、努力をするのだろう?

 

 

自分がやりたいことをやればいいんだ、できる範囲で。

他人や周囲を、よい意味で無視する。

どれだけレベルが低い努力でも、

今の自分に必要なことをすればいい。

それが「努力の効率」向上の第一歩だ。

 

 

そういう意識を醸成させてしまいさえすれば、あとは継続の問題だ。

 

 

 

 

ダイエットのためのウォーキングがしたいけど無理?

 

じゃあまずジャージに着替えることから始めよう。

明日は着替えて1歩外に出てみよう。

明後日は一番近くの曲がり角まで。

次の信号まで、散歩道まで、散歩道に1歩踏み込むまで。

散歩道を進む2歩、10歩、20歩。

 

少しずつ、確実に、達成すればいい。

バカにされても気にするな。

「違法でさえなければ迷惑であっても仕方ない」とクソ度胸を決めろ

 

それをすることが、今の自分に必要ならば

 

 

 

 

 

 

6、とてつもない努力

7、努力とは呼べない何か

 

 

 

恐ろしいことだが、

よいことだろうと悪いことだろうと、

毎日少しずつ続けていけば、

人間は割と何だってやれてしまう

 

自分ではメシも食えずウンコ垂れ流しだった赤ちゃんが、

毎日少しずつ体を動かして言葉を覚えようとしていけば、

10年もすればお留守番もお買い物もできるクソガキに成長するように。

 

最初は散歩に出て10分歩いただけで筋肉痛になっていたのに、

プロテインを飲むようになり人体について学び栄養摂取と食事を見直して、

ウォームアップとクールダウンをするようになって10年続けたら、毎日10km走れるようになっていた。

 

毎日やると効率が上がるなら、

常時やればもっと効率が上がるのではないか?

 

 

 

 

 

かくして本当に努力をしている人は最終的に、

努力をしているとは絶対に言わなくなるものだ。

 

それをするのは日常であり、

自分という人間の習慣であり、

あえてやるようなことではないからだ。

 

辛い、苦しい、やりたくない、サボりたい、やめてしまいたい。

 

そういう苦難を含めて、自分という人間の生き方なのだ。

 

やりたいか、やりたくないかではない。

それを行い、どう受け止めるかの問題でしかない。

 

気晴らしもする、たまには休む、怪我や病気や仕事や育児で忙しい。

だがその程度でなくなるのなら、それもまた自分の人生だ。

 

 

 

言われなくてもやる。

やりたくなくてもやる。

それをしない人生などありえない。

 

 

 

 

・・・・・・・ここまでを、教わることなく理解したうえで生まれてきたのが、今話題の大谷くんである。

 

それもまた才能、それもまた幸運、それもまた彼に必要な努力の前提条件。

 

そうでない自分は、恵まれなかった幸運を嘆くよりも、幸運を代替可能な事実を積み上げるしかないのだ。

 

 

 

 

 

自称成功者ほど努力を自慢するわけだが、ただ生きていることは自慢にはならんのだよ。

 

努力を自慢する奴は幸せだっただけ。

 

努力ができる程度には恵まれた幸運を自慢する奴のほうが、恐らくは努力をしているのだろうよ。

 

だからあなたも最終的には、

努力を誇るのではなく、

努力できただけの幸運を誇れるようになると、いいのかもしれない。


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