たとえ女性であっても、あるいはスポーツが苦手であっても、
体を動かした=筋トレしたほうがいい理由なんて、
ダイエット、肥満防止、寝たきり防止、ボケ防止、ケガ防止、ストレス軽減その他、まあ無限にあるわけだ。
しかしそれらの利点が、なぜどれだけ重要であるのかは、きちんと勉強しなければ理解が難しい。
実際に太ったりケガをしたり、体力の衰えに伴う「脚が上がらず転ぶ」を経験するまで理解できないのなら、
学習と予防の結晶たる科学文明など必要なかろう。
現代におけるスポーツというものはもはや科学の産物であり、
ただ気合と根性だけで体を動かし続ければ強くなるようなものではない。
かつて南米の個人技サッカーが世界を席巻していたのも今は昔、
現在では欧州のデータサッカーが英雄的なスタープレイヤー個人の価値を封殺し、
南米が欧州に勝てなくなって久しいわけだ。
柔道も国際大会の成績低迷が叫ばれてから井上康生がウエイトトレーニングを導入したら、
見事に復活したのが記憶に新しい。
日本の老害・・・老人と呼ぶほどの、敬老に値するほどの価値などない古狸どもは、
未だに昭和の根性論だけで強くなれとほざく。
スポーツには純粋な体力・筋力の問題(女が男には絶対に勝てないやつ)と、
技術や集中力、動体視力、戦術的判断力といった、いわゆるインサイドワーク(建前上男女で互角)とがある。
しかしながら、たとえ同程度の体力ないし体格を持つ男女で競っても、スポーツをやれば男が勝つ。
世界トップクラスの女子プロ選手たちが練習する相手は、男子中学生である。
男子高校生が相手になると中堅クラスにすら惨敗するのが、女子スポーツのトッププロだ。
まあ何が言いたいかというと、
男女間で平等ではないものと、建前上は平等なはずでも結果的に明確な差があるものとは、
理性的に区別されなければならないわけで、その判断基準を科学と呼ぶわけだ。
当たり前なことだが、「テニスのラケットを正確に振る技術」だって、ラケットという物体を動かす筋力が必要になる。
だからそもそも筋力のない女は、たとえ脳神経外科領域における純粋技術で男を上回っていたとしても、
物理現象として物体の運動を変化させる能力に劣るから、競技的な技術でも男に勝てないわけだ。
現実として、結果として劣っているのだから、差があると言わざるを得ない。
もしこれを無視してもいいのなら、
男だらけな職場・仕事に女を混ぜて、
男と全く同じ責任や負荷を与えてもよく、女である事実への一切の配慮など必要ないということになる。
月経? 知るか、男にそんなものはない。
妊娠? 知るか、男にそんなものはない。
疲労? 知るか、男にそんなものはない。
確かに男だって疲れる。
だがどれだけ疲れても、文句を言ってどうにかなるわけじゃないなら耐えるしかない。
どうせその面倒は誰かが片付けないといけないのだから。
男は1日2日風呂に入れないくらいでキーキー怒鳴っていたらやってられない。
最悪トイレがなくても立小便で済ませろという「雑さ」に耐性を得ていなければならない。
だが女にはそれができない。できたとしてもやりたがらないし、やらせようものなら世間が許さない。
・・・・・・という具合に。
「実際にやってみたらどうなるのかを前提にした勉強」
「科学的に揺らぐことのない事実に立脚したスポーツ」
が、少なくとも男女の双方にとって欠かせないものであり、
人類は全て、少なくとも性染色体は男女のどちらかであるわけだから、
片方だけを欠かしていい、ということにはならない。
だが上記の理屈を、
「practice makes perfect」=「習うより慣れよ」というふうに片付けてしまうと、
根性論でも精神論でも何でもいい、ということになってしまう。
だからきちんと、
「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」、
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」などと表現しなければならない。
もちろん。
「ものごとの正しさ」とは、
「ちょうど真ん中」ではなく、
「どちらかに偏っている」こともある。
それを中庸と呼ぶ。
臆病であるよりは勇敢なほうがよく、
愚劣であるよりは賢明であるほうがよく、
醜悪であるよりは美麗であるほうがよい。
ちょうど平均値であるよりは、ある程度「好ましく」偏っているほうがいい。
もしそれに異論があるなら、あなたとは会話が成立しないだろう。
そういった理屈は経験的にも、科学的にも、きちんと証明されているものだ。
しかしたった一言で済ませろ、要約しろ、簡潔にまとめろとほざくキチガイには、何を言っても無駄だ。
上記の理屈を全て実践・実証し痛感しているか、
経験することなくきちんと学習して想像し追体験しているか。
経験に限りなく近い学習か、学習に限りなく近い経験かは、「必ず必要」になる。
そういった「必ず必要」な過程を経た人間になら、
「必ず必要」な過程を経た人間として、たった一言で言えるのだがな。
「あなたはもっと~でいいんだよ」と。