「言葉にできない」という言葉もそうなんだけど・・・
紀元前の時点で、人類はその種の矛盾を知っていた。
だから今更そこに直接ツッコミを入れたいわけじゃない。
想像力が完璧であればあるほど、
あるいは妄想が先鋭化されるほど、
それを他人に伝える手段ないし技術のほうがついていけなくなるわけで。
あなたの理想とする愛や優しさが、
家族や恋人や友人や同僚に伝わっているかといえば、
恐らく適切には伝わっていないであろうのと同じだ。
自分の内側にあるときの純度が100%であるならば、
自分の外側に出てしまった時点で、純度は絶対的に下がってしまう。
下げない努力もあるし、下がったものを100%とする方法もあるけど、
最終的にはまあ、「できるわけがない」のだ。
真善美だのイデアだの本質だの根源だの太極だのまあ何だっていいが、
そんなものは人間が認識した時点で純度が落ちるから、
この世のどこにも実在しえないわけだ。
マッチョが好きかただのヒョロガリ(を細マッチョと言い張ること)が好きか、
巨乳が好きか貧乳が好きか、
「なんとなく共有すること」は可能でも「完全に同一であると確信すること」は不可能だ。
「コミュ力」などという架空の技能を論(あげつら)う人たちもそうなのだが、
そんなものがあるならば、存在を証明してみせろという話なのだ。
結局のところ「理解できないお前が悪い!」「私は絶対に悪くない!」と、
要するにそう言いたいだけなのだろう?
とりとめのない話だけどさ・・・
「できる」って、そう簡単に言うなよ。
お前ができてねえから、僕が悩んでんだって・・・