表題以上の意味はあまりないが・・・いちおう補足だけはしておく。
趣味とよばれる文化を仕事にしている人の生活があるから、ではなく。
それを仕事にして生きていけるほどの熱量や魅力があると推定できるから、なんだわ。
「結論だけ簡潔に書け」論法が正しいのなら、
前者の意味で考える「オツムがスッカスカで魂が貧困な汚物」がワンサカ湧いただろうからね。
人間がパンだけで生きてるわけじゃない(ほんとぉ?)のと同じことさ。
ただ生きるだけなら、ほぼ全ての文化圏で必ず「音楽と舞踊」という文化が自然発生するはずもないからな。
ヒトが知能を獲得した結果、料理だの音楽だの踊りだのは、必要がないはずなのに研鑽され続けてきたわけだ。
まあアレよ。
しょせん人間は辛い現実(飢餓や災害や嫉妬など)から逃れることができずに生きてきたし、今も生きているのだからさ。
「現実逃避する性能」が向上するほど、それは必然的に歓迎される。
理想だけを描けばいい、理想だけを描いてもいい二次元文化は、そりゃ爽快だろうさ。
日本人が描く西洋風の異世界には、人種差別もなければ宗教戦争もない。そういう世界を作ってもいい。
かつては小説が担っていたものを、音声や映像や色彩つきで描写するゲーム・漫画・アニメが担うようになっただけ。
とはいえ時代遅れになった低級な娯楽にも強みと独自性はあるからこそ、
「古臭い音楽」はなくならないし、「古臭い文章表現」はどんどん増え続ける。
僕が他人の趣味嗜好を極力否定したくないと考える理由もそこにあるが同時に、
明確に有害な、推定的に知性や人格や「有害性」が確定してしまうものがあることも知っている。
ギャンブルや麻薬、酒や浪費趣味が好まれないのと同じ理由で、煙草だって当然嫌われる。
明確な科学的合理性(not感情的合理性)があるからな。
だから僕は、「それ」でメシを食うことの意味を問う。
ん? 「あなた」に問うはずがなかろうよ。
僕はいつだって「自分の脳内にしか存在しない架空人格」としか喋らないぞ?
それを便宜上あなたとしか呼べないからそう表記するだけで。