いやまあ、ねえ?
いっつも疑問に思うことなんだけど、
「男は外見しか見ていない!」「外見しか見てない男はサイテー!」っていうけど、
外見にばかり必死こいて気遣ってるのは女のほうじゃん?
外見以上に中身が素晴らしい女性って殆ど見たことがないし、
そういうのってだいたいオバーチャンとかオバサマとかって世代だけ。
まあ、閉経してメスとしての役目を終えた以上、
弱肉強食って原理からすればガチで「いるだけ邪魔」だからね。
肉体労働にも適さず危険なことをさせたら企業の評判が落ちるってんで、
女の人生は最終的に(最初っからそうだけど)、
「他人をサポートする能力の高さ」だけが評価されるようになるわけだからなあ。
若いうちからそういう合理性や必然性を理解したうえで、
閉経してからの人生、およそ35年間ぶんを考えて、
日々少しずつ技能を磨き続けてきた女性は、そりゃ賢いだろうし忍耐強いだろうから、まあ当然だな。
・・・寄せて上げるブラジャーって、女の人生に似ている気がするんだよな。
どんだけ努力したっていずれ垂れるし、需要もなくなる。
外見ではなく中身を見ろと主張する傍らで、誰よりも外見にこだわる。
自分で言ってて空しくなるレベルの寝言だとわかっていても、その理想を追い求め続けた結果、生み出されたもの。
正しく言うと、女の寝言を結晶化させるために、男たちに作らせたもの。
自分で作ろうとはせずただ与えられるものの組み合わせで競い、
自分で見出したわけでもない価値観にとらわれ、
本来持っているはずの魅力以上の価値を見出せと周囲他人に強要するための、呪われた祭具。
「どっちみち脱いだらバレる」ってことを理解してるんだろうか?
セックスが人間関係のたとえに用いられるのは、
逃げも隠れもできず、自分自身の持つもの(肉体や精神)だけで挑まなければならないから、
実力以上のものは絶対に出せない・・・という部分に集約される。
いくつになってもオンナとして見られたいという欲求は男女で大差はないだろうけど、
明確に生殖能力を失うというpoint of no returnが存在するぶんだけ、
女のほうが必死にして無駄な努力に走りたがるのは、まあ理屈では納得がいく。
納得はいく。のだが。
僕は虚飾に逃げる女が嫌いだ。
虚飾で自分を偽ろうと思えば思うほど、自分自身の矮小さばかり思い知らされるのだからな。
同じ矮小な自分であるのなら、少しでも自分自身を大きく強く育て鍛えていくしかない。
それこそ女たちが好んで食っている野菜や果物も、
農家が何百年もかけて品種改良してきた結晶なわけであって、
「地道な努力をする」以外の真理なんか存在しないわけで。
形状記憶合金だと空港のゲートや病院の検査で引っかかるということで、
ワイヤー部分は非金属素材をって話もあるわけで、
需要に応えるための努力は大事だと思うけど、それを他人任せにしておいて不便だって叫ぶのは・・・
人生を寄せて上げてごまかしても、苦労は増えるだけだと思うんだけどな。
寄せて上げるための利便性ですら他人任せにしているようじゃ、
そりゃ他人に振り回されるだけの人生しか過ごせないじゃないか。
他人からどう見られるか、他人が自分のために何をしてくれるか、他人が自分にとって有益な存在になってくれるか?
程度の差こそあれ、その発想自体は大切だ。
大切なんだが・・・
それさえあればうまくいくと信じてしまうから、
ごまかせばいいと思ってしまうから、
正々堂々って発想に至らなくなる。
まあ、美学の問題だわさ。
男は筋肉だろうがtelinkoだろうが収入だろうが、ごまかしがきかないものでしか競えないからな。
ごまかせばどうにかなっちゃうという点で、女の人生は、最初っから偽ることに特化したほうが楽なのも否定はしないが。