これは海外の反応系ブログではしょっちゅう話題にされることだが、
日本の王様つーか天皇たちは、飾り気がないことに定評がある。
画像は、トルコの大統領官邸と比較してみたものである。
まあ、一般的な日本人なら察しはつくだろう。
障子も和紙も椅子も絨毯も花瓶も、地味に見えるだけで超高級品のハンドメイドなのだろう、と。
天皇が乗ってる車も、大事なところは全て手作りの、非効率の窮みに位置するガチの特注品だからな。
ちなみに日本はトルコの9倍近い経済規模があるが、面積はトルコの半分しかない。
すぐ近くに7億人市場のEUがあるトルコと、
事実上自国の1億人相手にしか商売ができない(中国が自国企業を最優先で贔屓する都合上)日本とで、
なぜここまで・・・と、理由はいくらでもあるので省略するとして。
大事なことはソコじゃない。
僕がノーガード戦法、いわゆる駆け引きなしの直球勝負を好むのも似た理由だが、
虚飾・装飾ってのは、ようするに逃げの一手なんだよね。
派手にして、ひとつひとつの要素を目立たないようにごまかすのはバカでもできる。
だが、地味にして、単純にして、ひとつの狂いが目立ってしまうように整理整頓すれば、
どれだけイバっても、持っているもの以上は出せなくなるし、強調することもできなくなる。
飾らない、主張しない、退屈にする。
たったそれだけで、持っているもの以上のものは出せなくなる。
これは「自分の内面を映す鏡」のようなものであり、
日本と日本人はまさしく、
無礼者が見れば無礼者に、良識ある人が見れば良識人に見えるといわれているのにも近い。
裸になってみればわかるけど、
セックスって要するに、自分の肉体と精神と知性でヤるものだからね。
どれだけ服や化粧やアクセサリーにこだわったところで、最後に決めるのは自分の体だけ。
どれだけ飾ってごまかしても、最後に問われるのは自分の本質だけ。
飾らずに、持っているものだけを素直にぶつけるというのは、
何よりも恐ろしい威圧であるわけさ。
逃げ道がなく、ごまかしがきかないからね。
バカな人ほど虚飾を好むというのは、
自分の実力がないから、実力以外で自分を大きく見せなければならないから。
「腰パン」と同じ原理だよね(胴体を大きく見せることで自分のケモノとしての強さを強調する)。
勉強が苦手な人ほどテストが嫌いな理由もまさにそれ。
どれだけ自分が友達と仲良くして、
ちょっとしたことで勝ち誇ったフリができても、数値化されれば逃げ道なんかなくなっちまうからな。
シンプルな数字だけで全てが決まる・・・
ソードアート・オンラインのキリトくんもそんなこと言ってたっけか。
まあ、格闘技も割とそういうところあるけどね。得意武器の性能差だけでボッコボコにされうるのが格闘の恐ろしさ。
持っているものに嘘も偽りもなく、必要ともしていないから、飾らないし、隠さない。
逃げ場のない勝負ほど、挑まれるほうは恐ろしいのさ。
シンプルであるということは、自分が試されているということ。
この心意気のわからない女ほど、
成金好みなインテリア・エクステリアを好むもんだけどね。
数千、数万の貴金属や宝石に囲まれたところで、お前自身は強くも賢くも美しくも優しくもならないぜ?
皇室の外交は、欧米人たちとは別方向のイヤラシサを追求し続けてきた成果でもある。
「よさ」がわかる人でなければ、あの部屋の和紙の価値ひとつ理解できやすまいて。
・・・蛇足だが、和紙はなぜ和紙というカテゴリに属しているのかというと、
効率化されて大量生産に適している洋紙は、しかし破れやすく、100年以上の保存に適さない。
しかし和紙は丈夫で、1000年以上もの保存がきくうえに、濡れても破れず、保温や吸湿の効果もある。
欧米各国の美術品の修復にも用いられているくらいには、
和紙というのは特異な工芸品であり、
明治時代の日本人が欧米に視察に出向いたとき、鼻をかんだ紙を捨てようとしたら周囲がそれに飛びついた、という話。
「紙」が庶民にも行き渡るほど安価なもので、
「折り紙」として親しまれているほど大量に生産されていた国は日本くらいなものであり、
西洋人は「日本人は紙を気安く使って捨てるほど持っているのか」と驚いた、というオチ。
こういう地味なところで、技術力とその普及度、いわゆる「技術水準」というものが問われるので、
先進国がなぜ先進国なのかという部分には、必ずその種のカルチャー・ショックが伴う。
たとえ紙を作ったのが日本以外の国であったとしても、
和紙という形で昇華させたのが日本だけだったからこそ、
和紙は緑茶(japanese tea)と同様に、japanese paperとして分類されている。
どう飾るのか、何に自分を囲わせるのかではなく、
どれだけ自分以外のものを置きつつ、自分以外の要素を削れるのか。
断捨離だのミニマリズムというただの極端なキチガイ行為に逃げることなく、
「所有しつつ捨て去る」という矛盾の両立にこそ、
自分の真価が試される可能性と世界が隠されている。
スポーツや格闘技でいうなら「脱力したほうが強くなれる」のと同じだな。
Wabi、Sabi、Moeの心こそが、21世紀の日本を支えてくれるだろう。Hentai王国万歳。