Quantcast
Channel: ウホッ! いいブログ・・・
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1171

1187、極論は正しく使う限り人生の効率を飛躍的に高める

$
0
0

簡単に言うとだな。

 

美人かブスかなら、美人のほうがマシだろ?

金持ちか貧乏人なら、金持ちのほうがマシだろ?

天才か愚者なら、天才のほうがマシだろ?

 

「何でも二択にする」のは失敗の最大原因ではあるが、

状況のおおまかな偏りや、自分にとって望ましいものの方針を見出すためには、

これ以上なく便利な思考術の王道ではある。

 

最高にまずいカレーと最高に健康的なウンコ、どちらを食いたいのかって話でもある。

 

大事なことは両極端に偏ることではなく、

自分がどちら側でありたいと望んでいるのかを明らかにしたうえで、改めて見出し、選ぶことだ。

 

 

 

たとえば争うよりは平和なほうがマシだろ?

だが平和のほうがいいと誰もが望んでいるはずなのに争いはなくならない。

地球の裏側や遠い異国の地で紛争が起きているのに、今ここでは起きていないから平和だと思ってしまうだろ?

 

つまり平和とは、争いが起きていないと自分が認識しているだけの状態にすぎない。

実際に平和であるかどうかではなく、平和だと思っているかどうかが全て。

 

だから「日本の治安は悪くなっている」と思い込めば、

実際には凶悪犯罪も減り犯罪件数も減り続け、

若い世代ほど犯罪率が低くなっているのに、若者の凶悪犯罪だらけになったかのように思えてしまう。

 

思い込みの力って、恐ろしいだろ?

 

一党独裁と言論弾圧および他民族の大虐殺を現在進行形でやってる中国がすぐ隣にあるのに、

アジアは仲良くすべきだとか、排外主義はよくないとか、どう控えめにいっても「正気じゃない」ように。

 

 

 

あなたは何を望むのか?

 

面倒なことをしたくないのか、それとも自分の無学や無知が露呈するような状況に巻き込まれたくないのか?

 

苦労したくないし責任も背負いたくないけど、苦労しなければ手に入らないものの上澄みだけが欲しいのか?

 

誰だって楽をしたい。だがしかし。

 

 

 

「平穏」は自分次第で実現できるとしても、

「平和」はいつだって相互関係の中にしか築けない。

 

つまり。

 

「平穏」は自分ひとりの問題だが、

「平和」は自分ひとりの問題ではなく、むしろ自分以外が平和を乱しているかどうかのほうが大切になる。

 

なぜ他人のせいにするのか?

 

「自分」は1人しかいないが、

「自分以外」は、どうあがいても2人以上いるだろ?

そして1人よりも、2人以上のほうが、影響力は大きいだろ?

 

仮に自分以外がみんな殺し合っている状況があったとすれば、

いつ自分も殺されるか、わかったものじゃないだろう?

誰かの放った流れ弾が自分に当たって死んでしまうかもしれないのだから。

 

 

 

自分ひとりでは実現できないものは、

むしろ否応なしに「他人」が大半を決めてしまうものは、

どうあがいても自分のせいではないだろう?

 

自然災害に巻き込まれて死ぬのも、

誰かの違法建築によって崩落した建物の下敷きになって死ぬのも、

あるいは有権者の過半数が50歳以上になった国で、若いというだけで冷遇され、まともな職や給料にありつけないのも。

 

 

 

たまには極端に考えてみればいい。

 

自分が全て悪いのか、自分さえ死ねば全てがうまくいくのか?

それとも自分は一切悪くないのか、自分以外の全てが正しく機能していれば、自分は救われるのか?

 

 

 

僕は実の母親に、優秀な成績を修めるたびに殴られた。

あの母親では絶対に届かなかった、日本一の学力を示しても、なお殴られた。

そのたびに僕はこう思った。

 

僕が悪いのか? それとも母親が悪いのか?

 

母親に嫉妬されるほど優秀な僕が悪いのか?

それとも愚劣さゆえに嫉妬心すら自制できない母親が悪いのか?

 

 

 

「どう考えてもおかしなもの」は、確かに存在するんだよ。

「それを悪だと断じることでしか冷静に認識できないもの」は、確かに存在するんだよ。

 

 

 

産みの母親に虐待されて死んだ赤ちゃんは、何か悪いことでもしたのか?

赤ちゃんは努力をすれば、母親の虐待に耐えることができたのか?

たとえ社会が母親を恨んでいたとしても、母親が虐待さえしなければ、虐待が原因で死ぬことはなかったのに?

 

悪いのは赤ちゃんか? それとも母親か?

 

 

 

「どう考えてもおかしなもの」は、確かに存在するんだよ。

「それを悪だと断じることでしか冷静に認識できないもの」は、確かに存在するんだよ。

 

「それは純粋悪ではない」と言ってしまえば、

そこに付け入って、せいいっぱい白い部分ばかりを探すクズどもが必ず湧いて出る。

 

黒が99%なのに、たった1%の白だけを強調することで、あたかも全体が白であるかのように見せかける。

まるで化粧とオシャレで自分の醜さと愚劣さを隠そうとする売春婦のようだな。

 

その黒さを恥じるべき道理などないというのなら、堂々と誇ればいい。

なぜ隠す? なぜ偽る?

 

それはお前が悪であることを承知で悪に走る、生粋の邪悪そのものだからだ。

 

そしてたった1%しかない白い部分だけを見せ付けられ続けた人は、

極論の正しい使い方すら理解できなくなる。

 

 

 

 

別に、何の話題であってもいいんだよ。

 

シロかクロかを決められない人ってのは、ふたりの美女から同時に告白されたら、片方を選べないってことだからな。

 

心臓移植待ちの患者2人に対して心臓が1個しかないなら、どちらを優先するのかという話さ。

 

 

 

 

「決められないなら全てを失う」という状況があるからこそ、

たとえ全てにシロクロをつけることができなかったとしても、

「あえてシロクロをはっきりさせるための極論」は、いずれ必要になる。

 

恋人と、母親と、娘。

そのうち二人を選んで自分の手で殺さなければ、自分も含めて全員殺されるという状況なら、

あなたは誰を生かし、誰を殺すのか?

 

 

 

 

カツ丼も食べたいし牛丼も食べたい、でもそんなに食べるほどの胃袋はない。

じゃあどちらを食べるか?

 

人生は「選ぶしかない」状況の連続でもある。

 

極端な、あえて偏らせる思考は、選ぶときに役に立つ。

・・・と、僕は思っているのだがな。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1171

Trending Articles