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1010、一を聞いて十を知る←これって順序が逆だよね

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たとえば、当たり前な話をしよう。

 

「人間が呼吸する理由」は、酸素を吸収して二酸化炭素を排出するためだ。

 

酸素が生命活動に広く使われているからであり、

特にヒトが他の動物たちをブッチギる勢いで発達させてきた脳は、

高度な機能を発揮させようと思うほど、より多くの酸素を要求するからでもある。

 

人間の生命活動のためには酸素が必要だ。

 

この、当たり前な事実から、どれだけのことがわかるだろうか?

 

 

 

 

1、生命活動に酸素が必要になるのなら、運動をして血流をよくすることで、脳に十分な酸素が供給されるはず。

  つまり適度に運動をしたほうが、脳はよく機能するようになるはず。

 

2、そんなに酸素が必要であれば、疲れている=生命活動が滞っているときは、

  酸素ボンベのように、意図的に酸素を多めに補うことで効果が得られるはず。

 

3、しかし水の飲みすぎでも体調を崩すように、何事も多すぎれば、それはそれで問題が起こる。

  ということは酸素も、ただ多く吸い込めばいいというわけではないはず。

 

 

 

 

・・・・・・おかしい、と思った人はいるはずだ。

 

全て、文章としては科学的に正しいことを言っているのに、

「人間の生命活動には酸素が必要だ」というだけの情報からでは、

上記の結論には決して辿り着けないからだ。

 

「運動をすれば血流がよくなる」 「水を飲みすぎれば体調を崩す」 「何事も多すぎはよくない」

 

少なくともこれらの情報は、別個に、あらかじめ知っていなければならない。

 

 

 

 

 

とはいえ、およそ誰もが既に知っている話題だから「そんなの常識じゃん」と思うかもしれない。

 

ではもっと難しい、あるいはマイナーな話をしてみるとしようか。

 

 

 

 

 

「pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis」の意味は読んで字の如しなので、実に簡単な英単語である。

 

・・・・・・・この情報に対して納得するためには、事前に以下のラテン語(羅語)・ギリシャ語(希語)の知識が必要になる。

 

pneumono=「肺」

ultra=「極端」「超越」

micro=「微細」「極小」

scopic=「観察」「視認」「観測」   ※microscopic=微視的な、顕微鏡レベルの

silico=「珪素」「粉塵」「砂埃」

volcano=「火山」「噴火」

coni=希「塵」

osis=希「病気」「症状」

 

肺の、超絶、小さい、珪素の、火山の(ここまでラテン語)、塵の、病気(ここはギリシャ語)。

 

ゆえに、

「pneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis」は「超微視的珪質火山塵肺疾患」のことである。

 

超(ultra)微視的(microscopic)珪質(silico)火山(volcano)塵(coni)肺(pneumono)疾患(osis)。

 

かくしてpneumonoultramicroscopicsilicovolcanoconiosis、世界で一番長い英単語は、実に単純明快である。

 

 

 

 

事前に知っていれば屁糞でもないただのよくある知識(特に英語のウンチク系ではド定番)にすぎないが、

大半の日本人はこの知識を持たない。

 

そのため、「そんなものはただの英単語の知識にすぎない」と思えるようになるまでに、

ラテン語やギリシャ語などの語源についての知識が必要になり、

しかしそれらの知識は、microやvolcanoなど、普通の学校生活でも教わる英単語から容易に類推が可能だ。

 

日本人の高校進学率が97%である現状、

実質的にほぼ全ての日本人が、この知識と理屈とウンチクを、

簡単なものだと思えるだけの土壌を持っているはずなのだ。

 

なのに、あらかじめ別個に知っておくべき知識が欠落しているだけで、

あとから言われてみれば納得のいく理屈でも、そんなもんが誰にわかるんだと、文句を言いたくもなるわけで。

 

 

 

 

おわかりいただけただろうか?

 

「一を聞いて十を知る」という諺は、

事前に「十の素材」があるからこそ、

「新たな一」で完成を見るのだ。

 

調理器具はともかく、食材がそろってもいないのに、料理ができるはずがない。

 

つまり「一を聞いて十を知る人になれ」というなら、

まず一を補うことで十につながるだけの、十以上の何かを知らなければならない。

 

 

 

 

日本の労働生産性は低いという知識と、日本がデフレ続きであるという知識と、

先進国どころか世界を探してもデフレに悩んでいるのは日本くらいなものだという知識とは、

それぞれを別個に持っていても役には立たない。

 

しかし、他国と違って日本はデフレで、日本はデフレだから給料が上がらず、

給料が上がらないから物価が上がらず、物価が上がらないから生産したものの価値も上がらず、

生産したものの価値が上がらないから生産性も上がらない、と・・・そう繋がったのなら、どうなるのか?

 

「日本の生産性が低いのはデフレだから」

 

という、ごく簡潔な、当たり前な知識として凝縮させることができる。

 

こんな簡単なことすらわかっていないマヌケなビジネスマンが、

過去最高の内部保留を記録している(←この知識も事前に必要だよね)にもかかわらず、

給料を上げれば生産性も上がるという本質から逃げ続け、ドヤ顔で生産性向上のための努力を嘯いている。

 

じゃあどうして給料を上げたくないのか?

 

今のビジネスマンは老人ほど多く若者ほど少ない構図(←この知識も事前に必要だよね)になっており、

老人たちは老後が不安だから、退職金を満額欲しがっている(←この知識も事前に必要だよね)。

そのためには仕事でミスを増やしてはならず、経営において冒険や挑戦もしたくない。

 

しかも老人たちだけがバブル期の水準のままの高給・昇給を維持している(←この知識も事前に必要だよね)から、

一番数が多い連中が、一番カネを食う。

老人が経営しているから、老人の退職金を満額出すために、内部保留がワンサカできても、給料は上げない。

 

しかも、どんな金持ちだろうと浪費をしない限り、1日で100万円ぶんの食べ物を食べることはできない。

そのため、お金は一箇所に集まっているより、全体にまんべんなく散ったほうが、経済効果は大きい。

なのに若者の給料を上げず、老人どうしでお金を独占しているから、景気はよくならない。

 

給料を上げないから景気がよくならない。

内部保留は過去最高なのに、給料は上がらない。

老人が経営して自分の退職金だけ心配しているから、内部保留は給料に反映させない。

 

数ばかり多い老人が、

自分の老後と退職金の心配をしていているから、

給料が上がらず、デフレになり、生産性も上がらない。

 

かくして、「日本の生産性が低いのはデフレだから」。

 

 

 

 

・・・タネ明かしをしてしまえば、当たり前な話だろう?

 

努力をすれば客が10倍の量のメシを注文してくれるのか?

工夫をすれば野菜や果物が10倍のスピードで成長してくれるのか?

今以上の生産性を得るための工夫や努力や効率化なんか、どうあがいてもすぐ限界がくる。

 

どう努力をしても除雪費用はかかるし、降雪量を減らすことはできないし、

降雪量を減らす方法がないわけではないが、そのための費用は除雪費用よりもかかってしまう。

除雪費用を削減すれば生産性が上がる? 除雪作業に従事する人の仕事がなくなって、生産性は下がるぞ?

 

日本の2倍の生産性を誇る国があるとすれば、

その国で働く彼らは、日本人の2倍のスピードで通勤し、2倍のスピードで書類を読み書きするのか?

違うだろ? 無駄をなくして効率化をしたって限界はあるし、そもそも生産性は効率の話じゃない。

 

2倍の給料が出ているから、生産性も2倍になるんだ。

 

だって、給料がゼロなら、生産性だってゼロだからな。当たり前だろ?

 

もしもみんなが自給自足と物々交換しかしなかったら、

お金は必要ないし、お金が動かないから、経済規模はゼロになる。

 

逆に、「相手に呼吸してもらう仕事」を、全ての人がペアを組んで、月給1億円で実行すれば?

ただ生きているだけなのに、ペアの数だけ、毎月2億円ぶんの経済規模ができあがる。

つまり、呼吸しているだけで1億円の価値があると言い張れば、生産性は1億円になってしまうのだ。

 

落書きみたいな絵に10億円の値段がつけば、絵を描いた人の生産性は10億円だが、

モナリザのような名画に1円の値段しかつけなければ、ダヴィンチの生産性は1円にしかならない。

 

給料が増えないから、お金を一箇所だけに留めたままでいるから、生産性も上がらない。

 

カラクリは説明いたしました。異論はございますか?

 

 

 

 

・・・子供や若者が、あるいは愚劣な存在が勉強をすべき理由って、まさしくそれなんだよな。

 

何も知らないバカは、何かに接したときに、見えてくるものが増えない。

多くを知っている人は、何かに接したときに、より多くのものが見えてくる。

 

1の土台の上には1しか積み上げられないけど、

10の土台の上には10も積み上げられるのと同じことだ。

 

土台がしっかりしているほど、高い建物ができる。

 

基礎知識がたくさんある人ほど、より多くを知ることができる。

 

天才ってのは、無から言語を習得したわけじゃない。

見たり聞いたりした文字や音声をしっかり吸収して、自分のものにしているだけだ。

 

天才ってのは、立って歩けもしないうちから走るのが速かったわけじゃない。

五体満足な体を持って生まれたうえで、走るという行為に対して、自分なりの納得を追求し続けただけだ。

 

 

 

 

事前に十の素材があるから、一の追加で完成を見る。

 

つまり。

 

一の追加で完成を見た人の、

努力ではなく結果だけを見たら、

「一を聞いて十を知る」という表現になるわけだ。

 

 

 

 

 

「二十歳過ぎればただの人」ってのもね・・・

 

そんな当たり前なこともわからないお前みたいなマヌケのために、

お前のチンケなプライドを傷つけないように、

話題を選んでバカのフリをしてやってるだけなんですよ。

 

たとえ僕という一人の人間が、どれだけ強く、賢く、正しくあることができていても、

国や社会を構成するのは、大多数の、弱く、愚かで、俗悪な、お前らなんだからさ。

 

たとえ僕がどれだけ強く動かし、僕だけが賢く語り、僕だけが正しく裁いたとしても、

お前らにはマネができないし、だから共感もできないし、もちろん納得もいかないだろ?

 

ハタチを過ぎたくらいでただの人になれるなら、天才だなんて呼ばれないんだよ。

多くを知り、吸収し、我が物にせんとする「知的な渇望」は、生きている限り残り続けるからな。

 

いかに多くを知っても、お前らみたいな俗物のプライドを守るために、

愚劣なるお前らを心中でゴミ扱いしつつ、話題を選んでるだけだ。

 

・・・まあ、あえて口汚くいえば、そういうことになるかな。

この人にはこの話題を理解・共感・納得できるだけの知性がないからと、敬遠して差し上げているわけだ。

知的レベルが開き過ぎると、無知を晒して赤っ恥をかくだけだから。

 

だから、二十歳を過ぎて、ただの人になったかのようなフリをする。

退屈極まりない、明日には忘れていそうな、心底どうでもいい情報だけを交換する。

 

ただの人になりきるための努力なんか一切知らずに、

二十歳を過ぎたからただの人だと決め付けにくる奴は、

やはり「努力ではなく結果だけを見ている」わけで。

 

 

 

 

いるよね。

 

結果ではなく努力を評価してほしがる奴ほど、他人の努力や配慮には全く気づかない・気づけないっていう。

 

誰のこととは言わないけどね?


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