1、「女なんか必要としてないでしょ?」
料理できる、裁縫できる、花や園芸やアロマも詳しい。
乙女趣味があって、小動物やぬいぐるみを愛する心をもつ。
女体についてはヘタな医者より詳しいし、性欲はきっちり自制できる。
まあ確かに、女いらんな・・・
相手のゴキゲンをとるだけのデートなんか面倒通り越して迷惑だし、
セックスよりも面白いと思う知的活動・肉体的活動をそれぞれ複数知っている。
女を積極的に求めにいくだけの理由が、僕には何もない。
これはハイスペックな男性に総じていえる傾向だが、彼らは皆生涯独身、またはすごい晩婚傾向をもつ。
女にかまっているヒマがあれば研究なり仕事なりスポーツなりに打ち込むことで、
ようやくそれなりの成果が上がるわけで、それに理解がないなら女なんか邪魔なだけなのだ。
・・・と、「彼ら」は言う。それを聞いて育った幼少期の僕は、その主張に違和感を覚えたことが一度もない。
僕は性欲も旺盛であればセックスも好きだし、ご奉仕するのも嫌いじゃないけど、
相手の機嫌をとる(嘘をついたり偽ったり隠したり媚びたりする)行為は好きじゃないし、
僕からの奉仕や従順さがあってようやく成立する関係というものは、何一つとして歓迎できはしない。
思えば思うほど、確かに女っていらんなあ、と・・・
理解があって、邪魔をせず、黙って従ってくれて、求めたら拒まないような人でない限り。
そのためには自分が常に正しくあり続ける必要があるんだけど、自分を信じてくれない人に訴えるほどヒマじゃない。
2、「実は人間のこと大好きでしょ?」
今の僕は常に批判的な姿勢をとるので、
数少ないここ数年の僕を知る人たちの間では「人間嫌い」で通っている。
が、昔の僕を知る人は、僕が人間・・・というか、人類のことを大好きだと知っている。
気づいてる人はいるんじゃないかな?
口では厳しいこと言ってるけど、実際はめちゃくちゃ甘くて、自己犠牲を惜しまないヤツだと。
電話やメールで相談を受け、呼び出しに応じて相談に乗るたびに、
「別にあなたが好きで相談に乗ったり力を貸したりしたわけじゃない」と注釈するのだが、
口に出してから「あっこれツンデレのテンプレじゃん・・・」と気づくクセは、相変わらず直らないようで。
僕は・・・そうだな、確かに人間を信じたい。信じようとしている。信じることから逃げたくない。
自分の知能と技術と覚悟があれば、無差別大量殺人テロくらいはやってのけられるからこそ、
いつでも物理的な現実逃避ができるからこそ、完全に擦り切れるまでは性善説を信じたい。
某ブラック・ジャック先生を好きになった理由も、自分と同じような方向性を持つ人間だからだし。
まあ僕の場合はその原動力が母への強い愛ではなく、母への純粋な殺意なんだけど。
3、「すごく優しいよね」
・・・僕が?
直近7年だけに限定すれば、人妻に手を出しても避妊具すらつけない生粋のクズであるこの僕が?
ホテル選びはおろかホテル代やメシ代や交通費すら女持ちっていう、人間の屑の鑑であるこの僕が?
4、「そうじゃないって、わかってるでしょ?」
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認めたくはないし、自分でそう思ったこともないが、
確かに僕のとる行動なり言動なりは、
世間一般的な男性よりも「優しい」と評されてきた。
というかセックスのときの指使いひとつとっても、
僕が素で応対した女性なんて、この世に10人もいないからな。
少なくともご奉仕モードの僕は、優しいとか丁寧とか、そういう評価を受け続けてきた。
まあセックスに限ったことじゃないけど、
確かに僕は、優しい・・・のかもしれない。
さもなくば世辞でもそんなことを真顔で言われたりしない。
昔っから、奥様方にそういう教育を受けて育ったからね。
世の男性諸君に足りないものを真っ先に詰め込まれた結果、
彼氏や夫になる前に、父親としての器量から先に磨かれるハメになった。
だから乱暴なセックスは嫌いだし、指使いが優しいって90%以上の確率で褒められてきたし、
必ず相手の要望を聞くし、自分の落ち度があれば必ず謝るし、訂正・改善するし。
人間としてやって当然のことをやってるだけなんだがな。
自分では認めたくないし、そう評価されること自体には何の面白みもない。
自覚があるくらいには、僕は確かに、「笑顔を作り出す能力」が低い。
まあそのかわり、真顔と泣き顔に向き合い、涙を拭い止める能力だけは、常人よりは高かろう。
優しいとは、思わんな。泣いているヒマがあれば立って歩け、足が痛むなら肩を貸す、という流儀なだけだし。
泣いてる女や泣いてる子供がいる世界ってのがガマンならんだけ、ともいうか。