一番わかりやすいものは「女ウケを狙うと超高確率で外す」だろう。
その理由は至極単純であって、人間ではなくヒトという動物の定義・性質に由来する。
ヒトという動物は受精したときに性染色体のX(女)かY(男)かが決まるのだが、
ヒトは本来全員がメスになるように設計されている。
精子由来のY染色体を受け取ることで初めて「メスにならなくてもいい」という命令を得てオスになる。
重要なことは2つ。
本来全ての人間がメスであるということ。
全ての「オス」は「メスではなくなった結果」であるということ。
だが人類の過半数はオスである。
ごく当たり前な話だが客の数が54人(オス)と46人(メス)、
どちらを相手にするほうが儲かるかといえば、普通の人は54人を、オスを相手にする。
そして「オス=メスではないもの」という構図に基づき、
オスはメスの特化型であるため、メスのような汎用型には戻れない。
もっと具体的に言うと、脳機能が特化しているのがオス、原始的なままなのがメスだ。
さらに子供の脳は「未分化」、すなわちメスと同じである。
女と子供の脳はどちらも原始的で感情的だが、大人の男の脳は特化型で論理的であるということ。
大人の男は女や子供とは明確に異なる。
ならば大人の男に向けた商売が最も儲からないように見えるが、
大人の男に向けた作品とはすなわち論理的であり、理性的であり、あるいは普遍性を意図したものであることが多い。
そして大人の男に向けられたそれらの作品は、賢い女と賢い子供にも訴求可能である。
かつ人類を平均すると愚劣な女のほうが少なく、子供と呼ばれる層の2割程度は大人相当の知性を有する。
人類の科学性ないし社会性は大人の男を基準にしたものが大半を占めるため、
科学文明のもとで暮らす限り大人の男が基準であり、
それに満たない女や子供は、大人の男に近づくよう努力や自制や学習や鍛錬が求められる。
かくして大人の男に訴求可能なものこそが、
現代科学文明と法治主義に基づく限り、最も普遍的な需要を得られるといえる。
男女に知力差などない、差別だとほざく前に、この世の現実を見てくればいい。
女性向け下着デザイナーですらトップ層は男性だし、女性向けスイーツを作るパティシエも大半が男性だ。
学者や研究者の「実績ベースでの」男女比なんていうまでもなく男の圧勝である。
誰がどうあがいても、論より証拠。
女や子供しか満足させられないものでは、大人の男は満足しない。
だが大人の男を満足させられるものの一部は、女や子供をも満足させうる可能性がある。
そして男という生き物自体は、子供の頃から大人になっても、オスとしての原理はほぼ一貫して存在している。
強くあること、賢くあること、勝利すること、自分以外を守り社会に貢献すること。
子供にだってそう教え、子供であってもそのように生きるのは、およそどの文化圏でも男の特性である。
そうやって社会性、客観性、あるいは滅私奉公の価値観と公私の区別を叩き込まれた男たちが切磋琢磨し、
「よりよいもの」を作ろうとした結果、多様性が生じ、その一部が女や子供にも愛されるようになる。
「自分と同じもの」しか認めて受け入れることのできない女や子供には、
そのような新鮮さを供給する能力が足りていない。
これは「男が優れているから」ではなく、「男が『女ではなくなった結果』であるから」というべき現実だ。
人類のベースは女だが、特化型が男なのだから、およそ何をするにも男が勝る。
勝るというのは強さや賢さだけではなく、
より普遍的で抽象的なものを見出す能力、あるいはそれを形にするだけの情熱や集中力でもある。
そして情熱や集中力とはすなわち男性ホルモンが担う役割である。
男性ホルモンが多い男は強い意志を持ち体力も向上しやすい。
だから創作にかけられる情熱や集中力も大半の人類を上回る。
上記の理屈を証明しうるのが「女性向け化粧品」だ。
科学的な研究開発のほぼ全てを男性が担っているが、
商品開発に際しては女性の感覚を頼らざるを得ない。
なぜなら、唯一といっていいほど明確に、ヒトのメスがオスより優れているのが、色の識別能力だから。
正確に言うならば、暖色系の識別能力に関しては、女性のほうが明確に男性よりも優れている。
また色覚異常系の障害の大半は男性に現れることが知られている。
なぜなのかは不明だが男女の能力差として科学的に確定している、唯一の要素である。
そのため口紅を筆頭とした暖色系の化粧品を作るときは、どうしても女性の目で確認せざるを得ない。
・・・・・・だが悲しきかな、その色は女にしかわからない。つまり男にはわからない。
だから女がどれだけキレイな化粧品を選んでどれだけ自分を着飾る色にこだわっても、男には絶対に識別できない。
かくして女性向け化粧品は、女が女同士で醜く争うためだけに存在する。
男には識別できない色が大半なのに、わずかな違いにこだわることで男が喜ぶと思っている。
唯一といっていい「女が男よりも優れていること」を武器にしてビジネスをやろうにも、
そもそも男には色の違いが識別できないため、女が男のために何かをやっても意味がない。
女同士で醜く争うことは、女のさらにごく一部にしか需要がない。
だから女性向け化粧品が、ビジネスの規模として世界の覇権を握ることはない。
そもそもその化粧品を買うカネですら男のものであることが珍しくもないからだ。
同じ理由で、ファッションに女がどれだけこだわっても、
男には認識できない色の差は、世界の過半数を占める男にとってはないも同然である。
女の目をアテにした商売は、女にしかできないが、それゆえに男には需要がない。
それは視力と脳機能の問題であり、「男には妊娠できない」「女は体力で劣る」と同じ、どうしようもない問題だから。
男の目をアテにした商売は、女にもできるし、それゆえに女にも需要がある。
それは理性と科学の問題であり、ヒトが生きていく限り誰にでも要求されるべき知性の副産物だから。
男のほうが特化型なのに、女のほうが普遍的なのに、普遍性の高いものを生み出すのは男である。
大人の男くらい強く賢い人間であれないと、科学文明を維持することができないから。
特化した知性の産物が独善的でない限り、特化しているぶんだけ普遍性が高まる。
・・・それが男尊女卑だというなら、この世を実際に見渡してみればいい。論より証拠だと述べたはずだがな。
世界的にmangaが大人気で市場が拡大しておりcomicが駆逐されている、という話題をとっても、
売れているものの大半が少年漫画であり、少女漫画業界は衰退の一途である。
そもそも少年漫画の話をしている奴らのうち、少なくない割合が女である。
少女漫画は恋愛の話しかしないから。
きちんとコミュニケーションをとり約束を守れば済むだけの話なのに、
致し方ない事情を酌量・斟酌することもなく「私を悲しませたあなたが悪い!」というガキの駄々をこねるだけ。
付き合ってセックスするまでならワガママだって可愛いもんかもしれないが、
結婚して10年20年と連れ添うのなら、ガキのゴキゲン取りは子供相手だけでたくさんなのだ。
女の脳は子供と同じ、未分化な、原始的なままであるから起こること。
女ですら同じ女のワガママや嫉妬に嫌気が差して、
女ですら男の生み出す多種多様な自己主張と自己表現のほうが魅力的だと感じた結果、
いつまでたっても恋愛と嫉妬とすれ違いしか描かない少女漫画は必然的に廃れた。
少年漫画の多種多様なジャンルは、下手な鉄砲にたとえてみれば必然的に「当たる可能性」を秘めているわけだ。
かの『セーラームーン』だって、恋愛要素だけで展開する漫画ではなかったから愛された。
アニメ化されたときに大幅な改編がなされた結果愛された。
数年に一度ほどやってくる「女の間で爆発的にウケたもの」は、しかし男の共感は得られない。
それらはどうあがいても、現実的な女の姿を描いたものではないから。
女にとっては理想的な女かもしれないが、男にとっては「非現実的かつ典型的な女」の姿だから。
何の説得力も客観性も根拠もないドヤ顔のお説教で精神的優位に立ち男を口先だけで支配する。
フェミが理想としている「男を支配する女」の生き様だが・・・
そもそもそんな女はいない。
というかそんな女に従う男がいない。
納得できる理由さえあれば死ねという命令にさえ従える男だからこそ、納得できないならテコでも動かない。
女にはそういう観点が欠落している。
生物としての闘争本能を持ってはいるから優位には立ちたがるが、
体力でも合理性でも男には勝てない。
だから「なぜ男がそれに従わなければならないのか?」という根源的な原理を無視して、
男が女に従っている、という結果だけを描く。
女からすれば気分はいいかもしれないが、男にとっては意味がわからない。
ヤらせてもくれない女、お高く留まっているだけで自分では何もしない女。
その参謀のごとき「機能だけなら男であっても構わない」のだから、女である必然性と価値が何もない。
そして男にできないことなんて、先述の色の識別か、あとはせいぜい妊娠出産くらいしかない。
・・・・・・ではなぜ女(と馬鹿)には上記の理屈が理解できないのか?
男でなければできない過酷な労働なり闘争・戦争なりというものが19世紀までにほぼ片付き、
便利で整備された都市で暮らす人類が増えた結果、
山林原野の開拓、重機も入れない場所での人力の作業を誰がやってきたのかを、忘れてしまったから。
最初に開拓した人たちへの敬意を忘れた結果が、かの悪名高い成田闘争の原因のひとつでもあるが・・・
多大な犠牲を支払って実現させた仮初の平和、
多大な犠牲を何処か誰かに強いることで成立している先進国の贅沢と第三次産業、そして娯楽。
それを生み出してきたのは、犠牲を支払い、あるいは強いられているのは、古今東西、いつだって男だ。
苦労をするから見えるものがある。努力をするから見えるものがある。勝利するから見えるものがある。
男にはそれらが見えて、女にはそれらが見えない。
子供にだってそれらは見えない。
親や大人の苦労なんてわかるわけがないからだ。
女と子供には、大人と男の苦労がわからない。
だから見えているものが浅く、作れるものも退屈になる。
実際にそれらの苦労を押し付けてみれば、女や子供はすぐに死ぬ。さもなくば逃げ出す。
そもそも能力的に耐えられないから。
まあ、ほんの一例だけどな・・・確実にコケるものって結構あるんだよ。
だからこのブログの過去記事だって、
よく読むと「僕はこれが好き」という言い方は殆どしていないし、
好きだから他人にオススメすることさえ殆どしていないし、オススメするなら根拠も極力述べてきた。
世の中の人たちは、俺の私のツボにはまるものを欲しているのだろうが、
そんなものは自力で見つけ出してこそのオタクというもの。
いい漫画、いいアニメ、いいゲームは、自力で探して見つけるものだ。
話題作だから、みんなやってるから、そんな理由で遊んでもお前の魂に火がついたりはしない。
ただみんながやってる間、惰性のようにこなして、みんなが去れば自然と飽きる。
そんなオススメは誰にもできない。お前のオススメはお前が決めるものだから。
「男性向けと女性向け」に限ったことではないが、
そもそも普遍性のあるテーマなんて愛と暴力くらいしかないが、
だからといってそればかり見ていたいわけじゃないんだ。
オススメするほど特殊なものではない、オススメできるほど特殊なものなどありはしない。
だからこそ面白さは自分で見出すものなんだ。
他人の面白さを借りても、それが自分の何かを満たすことはない。
そういう楽しみ方を新規開拓できるのかもしれないが、
言われてやれた程度であれば、自力で辿り着けたはずなんだ。
言われた通りにしか楽しめないというのなら、お前は客ではなくカモだ。
そしてカモだらけになったコンテンツの魅力なんて、
作って発信してるほうにさえわかりゃしない=ありはしないのだから、満たされなくて当然だ。
ウケる理由は後からしかわからない。
だがウケない理由は最初からある程度わかっている。
スパイファミリーの売り上げがチェンソーマンの売り上げよりもいい理由なんて、
少年漫画が女向けの需要も獲得したから。
テーマからいっても後者は男向けに偏りすぎている。
じゃあ前者が女向けとして秀逸なのかといえば否だし、
男向けとして秀逸なのかといえば否だ。
スパイファミリーがウケた理由なんて、最初にカモを大量に釣れたかどうかだ。
だってあれ、とんでもなく使い古されたテーマ(偽りの人間関係)だぜ?
絵がキレイなわけでもデザインが斬新なわけでもない。
読み物としてよくも悪くも凡庸。
ジャンプラのステマが当たって、アニメは当代一の演技派声優を連れてきて。
見所は「みんなが話題にしてるから」「話題になってるから」しかない。
作中の何が魅力的なのかを具体的に語ってる奴は誰もいない。
「どう間違っても少年向けではありえないが」
面白いかどうかでいうならサムライ8のほうがよほど面白かろうよ。
まあ、あれこそ漫画より小説向けの題材だったがな・・・どう見るかだ。まだまだ心眼が足りぬ。
他にもいくつかあるんだが・・・元々誰かに読んでもらうためのブログではないからな、ここは。
純粋に無能な奴が仕切りたがった結果、せっかくの素材が台無しになるのもよくあることだ。
なあ馬場英雄? なあ【田中謙介】?