「出来ないからこそやろうとする」
たとえば世界平和とか、博愛とか、純愛とか・・・
まあ結局は定義次第なんだよな。
自分の世界とは自分の家族のことだから、
家族の平和や愛が実現されていれば世間も他人も知らんと、
そう信じてる人にとって、他国の情勢なんか心底どうでもいいだろう。
それが己の無力さを噛み締めて絶望した結果なのか、
身の程知らずで傲慢な愚者が手の届く範囲だけで満足した結果なのかは、
まあ状況によるだろう・・・原理上、大半は後者だろうけども。
自分が何を見てどう決めたのかの問題。
正しいかどうかよりも、信じたいかどうかの問題。
「出来るけどなぜかやろうとしない」
たとえば人命救助とか、お節介とか、奉仕活動とか・・・
上記とは逆に、信じたいかどうかよりも、正しいかどうかの問題。
医者じゃないから医療行為ができません、
男性なので女性の救急救命をすべきではありません、
未来や他人に関して責任など取れないので異性の紹介なんかしません。
やれというならやれるけど、
ケチをつけられたくないとか、
自分の好き嫌いで選んでるわけでもないのに好き嫌いの問題にされかねないとか。
何度も言ってきたことだが、
たとえば「政治思想」なんて呼ばれたりするけれども、
デフレ=お金が停滞してる状況では、減税してお金が動きやすいようにするのが常識だ。
というか原理ないし論理上、
程度の問題として反対側への移行を望んでいるなら、
現状を変えるためにはどうするのか、というだけの話。
インフレ=お金が大量に流れている状況では、増税してお金の氾濫を防ごうとするのが妥当だ。
これは好き嫌いの問題ではなく、
「ハラが減ったらメシを食え」、「眠いなら眠れ」と同じレベルの話でしかない。
カネが多すぎるなら増税して減らせ、カネが少なすぎるなら減税して増やせ。
だから増税や減税という話題は政治「思想の問題」ではない。
同様に、戦争がよくないのではなく、先に他国を攻撃せんとするのがよくない。
何なら勝てば官軍だから、負けるのがよくない。
攻撃されそうだから守ろうとするのは妥当であり、
守るためには最悪先制して殺せるようにしなきゃ意味がないわけであり、
まさに「攻撃は最大の防御」なわけだ。
核を放棄してロシアに殺されたウクライナを見れば、それが全てだ。
先制攻撃は専守防衛には必要ないと思うかもしれないが、
専守防衛とは「実際に殺されるまで戦おうとしない」という意味でしかない。
犠牲が出てから戦おうとするなら、
それは犠牲を待ち望んでいるのと何も変わらない。
戦えるのなら犠牲を出す前に戦えよと。
災害が起きてから備えようとするなら、
災害を待っていたのかと謗られても言い逃れはできない。
備える気があるなら未然に防げよと。
まあ、一番大事な原理ってのはひとつしかないからな。
守ったり備えたり警戒したりすると嫌がって、
そんなことはやめろとほざくのは、
こちらを害そうとする悪党や侵略者や敵だけですよ。
「それ」は僕という人格、個性、価値観、願望、趣味嗜好の問題ではない。
本当に悪意がないなら、何かをした結果としてどれだけ警戒されたって、どうとも思うまいよ?
警戒を嫌がるなら、お前は悪党だ。
自然災害や戦争や寿命のように、個人ではどうしようもない規模の邪悪や災厄を積極的に望む敵だ。
だが何もしていないのに警戒されたら、お前はアホかとしか思えない。
誰がお前に目を向けた?
お前には言葉はおろか目線すら向けていないし聞き耳も立てていないのに。
先に「何もしていない相手」を悪党だと決め付けたのはお前だろうが。
「明らかに不穏なことを行い続け繰り返す相手」を悪党だと判断したらヤメロと抜かすのもお前だろうが。
・・・こういうのって、強制力の伴った公開討論じゃなきゃダメなんだよね。
議論から逃げられる場所でも、詭弁を咎められもしない場所でもダメ。
騒いだもん勝ち、デマ流したもん勝ちにできる場所では、
絶対に会話が成立しない。
もちろん上記は僕の価値観ではないぞ?
僕の価値観は「それくらい喋ったり説明したりしなくても理解しておけよ面倒臭いなあ」。