偉そうに説教していることで一時期ちょっとだけ話題になったサッカー漫画『ブルーロック』だが、
なんで今更アニメ化されたんだろうなってのが正直な感想だ。
ブルーロックのあらすじなんて、書く必要もないくらいシンプルだ。
サッカーからスポ根と青春と友情を除去して、デスゲーム要素を追加しただけ。
ミリタリー、化学、格闘技に興味はないけどデスゲームは好きな人が、
殺し合いのかわりにサッカーを用いてデスゲームごっこをやってるだけ。
・・・・・・いや、まあ、うん。
競技だから勝ってナンボだとか、0点に抑えても1点取れなきゃ勝てないとか、
そういう原理上の問題を否定する気はないよ。
野球でもサッカーでもテニスでも何でもそうだけど、プロ競技者は勝ってナンボ、その通りだと思う。
ただ問題は、このブルーロックというクソサッカー漫画って、
現実のサッカーとは正反対の方向に進んでるんだよね・・・
かつてサッカーといえば南米だったが、今じゃ欧州の連中が勝ち続けるようになって久しい。
ワールドカップの戦績だけ見ても、最後に南米が優勝したのは2002年だ。
21世紀のトップ3だけ観察するなら、2002年のブラジルが1位、トルコが3位、2014年のアルゼンチンが2位。
それ以外の南米・・・というか「非欧州」国はまったくもって優勝争いにすら参加できていないのだ。
貧困から抜け出したいというハングリー精神からくる、
選抜されたフィジカルエリートと卓越した個人技は、
確かに世界最高峰だといえるだろう。
だが現実には、欧州のデータサッカーとチームプレイに封殺されっぱなしである。
そもそも冷静に見ると、南米のサッカーが強いとされてはいるものの、
今も昔も実際の優勝国は結構な確率で欧州である。
事実として、
「ハングリー精神をもつエゴイスト」が
「エースストライカー」であったことは、むしろ稀なのだ。
つまりブルーロックは「典型的な詭弁」を根拠にしたクソ漫画なのである。
歴代のエースストライカーのうちエゴイストで有名な人だけを選んできておいて、
さもエゴイストしかいないかのような演出をしている。
客観的反証がなされれば即日論破される、お手本のような詭弁である。
そもそもなんで欧州サッカーが強いのか?
条件は3つある。
1、欧州は(世界平均からみればずっと)金持ちだから
2、サッカーが一番人気のスポーツだから
3、社会や文化や意識および伝統がサッカーを中心に回っているから
たとえばアメリカだとアメフトが圧倒的人気で、その次に野球、バスケットボール、アイスホッケーなどが続く。
スーパーボウルなんて一部では会社を休む口実にしても許されるほどの人気を誇っているから、
人気というよりは文化、伝統の類かもしれないが・・・
いずれにせよアメフトは大量の観客を動員できるから、ビジネスとしても美味しいわけだ。
ビジネスとして美味しいから企業の参入も増えて、
スポーツメーカーはアメフト専用のスポーツウェアや靴などの開発を始める。
そうやってトップスター選手のために専用モデルの靴を作りましたというだけで、
その靴に似せたものを欲しがる子供や若者が増えて、
話題にする人も多いから知名度も上がり、そうやってどんどん普及していく。
運動が得意な奴はまずアメフトのエースになろうとする。
だからフィジカルエリートがアメフトに集まりやすい。
人気があるから、先天的因子の強い子が憧れて、強くなれる選手が集まり、強くなる。
好循環である。
欧州におけるサッカーが、アメリカにおけるアメフト、日本における野球に相当するわけだ。
客の目も肥えているから、活躍すれば賞賛され、ヘマこいたらブーイングを食らう。
だから選手はやりごたえがあるし、自分を見直すきっかけも得やすい。
客も、企業も、選手も、地域も、社会も全てが一丸となって「サッカーを楽しむ」ために最適化されているのだ。
それが欧州サッカーの強みと資金力を引き出す、根底にある原理といえるだろう。
勝てなかったくせに「自分たちのサッカー(笑)」ができたとヘラヘラしてる日本代表は、
甘やかされて育っているのだから、そりゃあ強くなれるわけもなく。
要するにプロリーグの歴史の問題でもあるのだよな。
日本はまだ、プロリーグ創設前から生きてる人間が大勢いるからね。
生まれた頃には既にプロリーグがあったが、という生き字引ジジイ的存在がいない。
「サポーター」という言葉はあるけど、
じゃあ選手は何のサポートをしているんだっていう話だからね。
某浦和レッズのサポーターなんて昔から反社半グレの糞DQNヤクザだらけで有名だけど、
本来なら客の誘導、スタジアムの清掃、客のマナー向上の呼びかけなど、
選手やクラブチームや運営をサポートするからサポーターなわけでね。
勝てば騒ぐ口実にして、負ければキレて当り散らすだけの存在を、サポーターとは言わない。
その点で日本の主なスポーツは、順当に外国に汚染されてしまっている。
野球はアメリカが押し付けたもの、
サッカーはシナチョンに媚びるマスゴミが担いだ結果独占配信しすぎて過疎化、
相撲はモンゴル人の八百長を止めようとした日本人が排斥される有様。
まあサッカーに限らず、日本のプロリーグとしての歴史は浅いよな。国の歴史は長いけど。
ここが普通の国だとありえないもんで、
欧米の有名大学なんて400年とか500年とか続いてるけど、
国の歴史はそれより短いからな。
日本は逆に、「天皇の国」が2000年も続いてるけど、
大学が整備されてからはまだ200年も経っていない。
その傍らで識字率の高さや教育水準の高さでは、300年前の時点で欧米をブッチギって世界一だった。
欧州ないし欧米を基準にすると、日本がトンチンカンを通り越した国になるのは仕方ない。
とはいえ逆の見方をすれば、少なくとも日本にはそれだけ多様性があるってことだから、
「サッカーファンにあらずば人にあらず!」みたいな同調圧力はかからずに済む。
アメリカ人でもアメフトに興味ない人は大勢いるからな。
フィジカルエリートがアメフトに殺到してしまい、
優秀な人間を呼び込んで帰化させてメダルを稼いでいるだけだとは、よく批判されている。
・・・実際のところ、欧州サッカーは非常に「気持ち悪い」。
なにせ人口が20万人ちょっとしかいない街のスタジアムに、
サッカーの試合があるとなったら5万人以上の観客が押しかけるのだ。
日本でいうなら、
「山梨県甲府市で野球の試合があるたびに東京ドームが超満員になり人が溢れる」。
山梨県甲府市がどういう場所かわからない人は、
まあググってみるといいんじゃないかな・・・
山梨県は都道府県別空き家率ナンバーワン(21%)だからな。
人口19万人弱、東京ドームが47000人弱だっけ。
まあ要するに、
栄えていると言い張ってはいるが客観的には過疎りまくってる都市であっても、
スポーツの試合があるたびに住民の3割が殺到しにくるのが欧州サッカーなわけで。
住民の3割が殺到するって、想像してみ?
世田谷区がおよそ90万人だが、スポーツの試合があるたびに30万人が一箇所に殺到するんだぜ?
ちなみにアメリカ陸軍が40万人少々。
比率で考えるなら、
試合があるたびに、世界最大級の軍隊に匹敵する数がいっせいに動いてるようなものなんだ。
それが欧州サッカー。
逆に見れば、それくらい気持ち悪い熱狂ぶりが当たり前のように息づいているからこそ、
欧州サッカーは「エゴイストではないのにエースストライカーになれる」。
興味のない人からすればその程度の話題であっても、
興味がある人からすれば、そのような話題になるわけで。
日本人だってそうだろ?
学力が高いだけで進学実績を稼いでくれとお願いされて、
意味もなく早稲田と慶應を受験させられる。
好きじゃなくても東大や医学部を受験させられる。
・・・まさかと思うだろ? 僕がまさに「進学実績を稼いでくれとお願いされた側」だからよく知っている。
だがそれ自体は、決して悪いことではない。
誰にだって夢や希望や目標があるわけではないから、
優れた能力があるならばと外野に背中を押されて追いやられた先に、
しかしそういう人生のレールが敷かれているのは、目には見えないが明確な救済措置ではある。
毎年やってくる東大生の五月病と春夏の自殺は有名な話だが、
明確な目標がない人には、興味がなくても選べる道があるだけで救われる。
欧州のスポーツならサッカー、日本の勉学なら東大早慶医学部。
まあ、だいぶ話がそれたが・・・
理由はどうあれ、欧州サッカーは莫大なカネが動く。
カネが動くからヒトも動く、そのサイクルが確立されている。
じゃあ日本もスポーツ振興をすればいいのか?
もちろんそんなことはない。
サッカーなんて未だに「ホームゲームは有利」とかいう採点競技みたいな側面が蔓延している、
はっきりいえば底辺庶民の娯楽にすぎない。
仮に日本のサッカーが強くなってきたとすれば、
白人特有の人種差別判定の嵐に巻き込まれるのは目に見えている。
オリンピックのルールですら日本が強い競技を逐一潰すべく変更に変更を重ねるような連中だぞ?
日本に必要なのはスポーツ振興という限定的な名目ではなく、
「失われた30年」のデフレ意識を払拭するための、
政府主導の、国家規模のインフレ誘導政策なわけだ。
そうすればスポーツ観戦にカネを使おうとする人も自然に増えるし、
経済規模だって自然に元の水準に戻る。
スポーツにカネを惜しまず出せる程度の収入があれば、
スポーツ振興予算なんてなくても、自然に企業側が投資しにいくはずだからな。
それこそ欧州サッカーは、国家事業ではなく民間事業なわけだし。
バブル世代の勝ち逃げ老人様の老後の資金を確保するためだけに、
絶対にインフレ誘導をしないのは、
バブル世代の勝ち逃げ老人様だから。
日本にまず必要なことは世代間人口格差の解消、デフレの解消。
スポーツ振興をしようにも少子化が止まらないなら労働力もクソもなく、
労働力を確保できなければスポーツ=娯楽どころではないのだから。
・・・・・・と、一応マジメな話をしてはみたが。
件のクソサッカー漫画『ブルーロック』の作者連中が、
そのようなことをマジメに考えて、デスゲームサッカーをやっているようには到底思えない。
いうまでもないが、僕はサッカーに興味はないし、何なら嫌いなほうだ。
興味がなくて好きでもない人間にすらわかる話を、
興味があって好きな人間が知らないというなら、
それは問題がありすぎる。
まあ結局「T屋がでしゃばってきた時点でクソ」という評価で十分なのだがさ。
Q:T屋って誰?
A:知らないならググってね。説明するのもウゼェ。
・・・散々ブルーロックはクソだ、サッカーは嫌いだと断言しておいてアレだが、
僕は「エゴイストでなければならない」という部分事態は否定をしない。
どうあがいても、生きている限り他人に迷惑はかかる。
電車に乗れば自分がいるせいで誰かの占有スペースを潰すし、
そこそこ満たされている自分が食っているメシは飢えている誰かが食うべきだし、
本当の意味で「協調」しろというなら、そういう話になってしまう。
だから人間には、「生きるという悪」から逃げないだけのエゴが欠かせない。
自分が生きるために動植物を殺してメシを食う、その罪と悪を正当化するだけのエゴが。
他人から奪え、他人を罵倒しろ、そういうものはエゴじゃなくて横暴とか傲慢とかっていうと思うんだよね。
自分が正しいと信じたことのために殉じて、自分のその傲慢な行いの結果が周囲に福利を齎すよう生きる。
そういうエゴイズムは確かに必要だ。
匙加減の問題なんだよね、結局は。
俺の私のために尽くせという有象無象の他人のために自分を殺すのはよくない。
自分を幸せにしてくれない人のために尽くすのはただのマゾだ。
自分を尊重し幸せにしてくれる人のために尽くすのが、正しいエゴイズムだ。
まあ、ブルーロックはそういう側面が欠落してるのよね。
デスゲームやりたいだけだから。
サッカーも飾り、エゴイズムも飾り。何ならサッカーが好きですらない。