他人にモノを教える側の僕こそが、
「最初の志は低くてもいいから確実に達成することを徹底しろ」
という説教の中身を実践できていないことは、まあ多々あるもんだ。
「思い立ったら実行する」という、たったそれだけのプロセスでいいのだ。
それすらできなかった過去、それだけではあるが奇跡的に継続できている今。
どちらがいいのかは考えるまでもない。
そして今以上を求めるなら、あれこれ余裕ができるタイミングを待つしかない。
タイミングとは要するに冬のことなのだが・・・
自分の何がどれだけ異常なのかは把握している。
それの全貌を把握するまでに14年もかかったのだが、少なくとも進歩はしている。
常人が7年かかる知的労働を5秒で終えられる僕のオツムで、14年かかった。
虐待の根は深いし、恐らく今後10年かかっても拭いきれはすまい。
だが、自覚ができていることが大事なのだ。
それは除去されるべき呪縛なのだと、理解したうえで足掻くのが、辛くとも必要なことなのだ。
医学理論上は絶対に治らないし、
治ったと自称する連中の共通点は、「僕と違って不幸ではない」こと。
救いのない、望まぬ破滅だけがある道を歩けと、つまりはそれだけの話。