科学的な話・・・ではあるんだけど、
科学理論を持ち出すまでもないくらいには簡単なことで、
親のエゴでやってることはだいたいアウト。
たとえば英語学習に代表される語学系の早期教育ブームが、
2022年現在からだいたい15年ほど前にあったのだが、
じゃあ今の高校生や大学生はバイリンガルだらけになったのかというと、そんな事実はどこにもない。
あれは典型的な「やっちゃいけない早期教育」であり、
どこの国でも移民やハーフの子が地元・居住国に馴染めず犯罪に手を染める原因になりやすいのが、
母語を複数持つことになったせいで生じる「中途半端な言語感覚」なわけだ。
大半の人類は母国語ですら完璧に(他人に説教できるレベルで正確に)習得できないわけだから、
自国語=メイン言語すら満足に習得できない奴に、
もうひとつ教えようとするほうが間違っている。
そもそも日本人の大半が未だに勘違いしていることだが、
アジア・アフリカおよび中国、韓国、その他発展途上国の人たちが英語を喋れる理由は、
自国語が貧弱すぎて、自国語だけで高等教育を受けられる環境が存在しないからだ。
日本人は日本語で、アメリカ人はアメリカ語で、イギリス人はイギリス語で、イタリア人はイタリア語で、
フランス人はフランス語で、ドイツ人はドイツ語で、スペイン人はスペイン語で、ロシア人はロシア語で、
先進国と呼ばれる国は「絶対に」、自国語で世界最先端の学識へアクセス可能になっている。
つまり「英語が喋れる途上国」とは、
自国語を磨いて新しい言葉を作る努力から逃げて、
英語を習得すればいい=英語を習得できなければ教育を受けられない環境に甘んじているツケにすぎない。
現代の中国語の大半が日本語からの逆輸入である(中華「人民」「共和国」は後半5文字が日本語由来)ように、
日本人が明治維新の頃に、安易な英語への逃げと甘えを許さず、
翻訳する努力を経たおかげで、日本人は語学的障壁を得たわけだ。
「英語を喋れないから国際的ではない」というのは大きな間違いであり、
「独自の言語を持つことは真の先進国の証であり英語に支配されていない名誉ある国の特権」なのである。
日本は独自の言語を持つから、欧米の企業に食い荒らされずに済んでいる。
アフリカの貧困がいつまでも改善されない理由なんて、
英語やフランス語でしか教育を受けられないせいで、何をするにも英米仏の後追いしかできないからだ。
何をするにも「言語の先輩」に従うことしかできなくなると、
新しい概念を生み出した、あるいは新しい概念が生まれたときに、
その言葉の意味や考え方を、自分たちで作り出すことができなくなる。
「言語の先輩」が生み出していないものを、自分たちで生み出すことができなくなる。
「言語の先輩」が説明してくれないものを、自分たちで考えて議論を深めることができなくなる。
言葉を他人任せにするしかない状況とは、赤ちゃんが泣くことでしか意思を伝えられない状況と同じだ。
・・・・・・という当たり前な話を省略したっていいんだが、最後の一行だけで納得できる人はいないだろ?
「語学の早期教育」が鉄則レベルでNGなのは、
まず自分を認識する言語、母語、母国語、メイン言語をはっきりと習得したうえで、
多様な価値観を知るためにサブ言語を学ぶべきだから。
幸いにも日本語は、欧米語をブッチギっている。
文字数あたりの情報量が非常に多いことと、
文字の形状を記憶するために脳を駆使することで知能指数が高くなりやすい(とされている)こととを鑑みると、
日本語は外国語よりも、短時間でより多くの情報・意味に触れることを可能としている。
しかも海外留学をしていない人でも、日本国内で世界を変える発明をいくつも実現させている。
少なくとも日本では、慌てて外国語を習得する必要はないのだ。
かといって英語の発音を一度も聞いたことがない脳のまま成長するのももったいないので、
まずは国語の先取り教育から始めるほうがいい。
10歳までに中学受験レベルの漢字や語彙をマスターして、
四字熟語や慣用句をたくさん覚えて、
そこを起点として、なんとなくでいいから歴史や文化に触れていけばいい。
まず日本語、まず国語。
だから極端なことを言えば、本格的な英語学習なんて中学からでいいし、
英単語の綴りを覚えるにしても公文式レベルでいい。
小説だの物語だのを読んで作者の気持ちを考える練習をしても意味は薄いから、
少なくとも論理的な文章を正しく読解する訓練をしたほうがいい。
英語も数学もできない子は、そもそも国語が苦手で、言葉を知らず漢字が書けないのは有名な話。
それこそ国際化の時代だからというなら、まず必要なのは論理的思考である。
ミもフタもない現実に立ち向かうために、自分の気持ちよりも目の前にある情報を優先する意識である。
やったほうがいい早期教育とは基礎固め、
ヒト種の脳がどのように発達するかを逆算したうえでの教育と躾であり、
やっちゃいけない早期教育とは、それを無視したものであり。
・・・その区別を自力じゃつけられない人は、僕を呼べばいい。
本来なら=高校レベルの教育を十全に修めた人なら、
その程度の区別はつくはずなのだが、もちろんそんなことはない。
ロクに知らないまま高校を出て大学を出たくらいでは、学校で教えてくれないことは欠片ほどもわかりゃしないのだ。
学校で教わることは無価値だとデカいクチ叩く連中は、
その学校で教えてくれなかったことは、学校で教わったことよりもなお知らない。
知ろうとしながら生きてきたわけじゃないからだ。
そんな連中に教えるべきこととは、
学校で教えてくれないことではなく、
少なくともまずは学校で教えてくれることを完璧に学び習得すべきだという、当たり前な生き方であるはずだ。
日本という国は、
僕みたいな天才(児)にはとんでもなく冷たい国だが、
そのぶんだけ凡人・弱者・底辺・女・子供には非常に優しい国だ。
学校で教わることを完璧に修めるだけでも、一生困らない。
進学率97%と化した高校レベルの教養があれば、社会に出てからも「物知り」の称号は確実に得られるだろう。
何なら大半の社会人は、中学受験レベルの教養すら持ち合わせていない。
早期教育ってのは、
何年後の何のためにやるべきことなのか、
それが今の子供の肉体的生育状況に詰め込むべきことなのか、両方を常に考えて行うべきものである。
学校のテストですら満点が取れないようなオツムの子に、
学校の勉強以上のことを教えて、どうなると思う?
今できないことを、今後できるようにするのが、教育だ。
だが赤ちゃんに100mを10秒で走らせようとしても意味がない。
赤ちゃんに教えるべきことは、ハイハイと、一人歩きと、その注意点だろう?
適したことをやればいいのであって、無理してまでやるようなことじゃない。
どうせあなたは、親になる練習なんかしてこなかっただろう?
親たちが悩んでいる子育ての苦労なんて学びもせずに、
セックスして産んだ孕ませたというだけで親になっただろう?
僕は知能が無駄に余っていたから、子供の頃からそんなものばかり学習させられてきた。
だからよく知っている。
学習すべき順序というものがある。
土台として重視すべきものがある。
それは世間一般のマヌケどもがやりたがる、語学系の早期教育ではないのだ。
子供はまず、正しく食べて正しく眠ることが最優先だ。
正しい言葉遣い、礼儀作法、最低限度の料理スキル、栄養の知識、健康管理、運動不足解消のための筋トレ。
どんな人間がどんな仕事をやろうと必ず使うことになるものから叩き込んでいけばいい。
まず国語、まず躾、まず我慢。
自由なんてものは勝手に覚えるのだから、やるときはやる、遊ぶときは遊ぶ。
「切り替えの重要性」と「信賞必罰の徹底」こそが、
早期教育における、親子の双方が学ぶべき最重要点であるといえるだろう。
子供に説教するからには親もやれ、親がやらないことを子供がやるわけねえだろ、ということだ。